藤村トヨ(読み)ふじむらとよ

改訂新版 世界大百科事典 「藤村トヨ」の意味・わかりやすい解説

藤村トヨ (ふじむらとよ)
生没年:1877-1955(明治10-昭和30)

女子体育の啓蒙家。香川県坂出市出身。女学校のころ健康を害し,せっかく入学した東京女子高等師範学校も中退したが,1902年25歳のときに体育運動によって健康をとり戻し,これが要因となって体育に志を立てた。04年に体操科文検合格女子第1号となり,東京女子体操音楽学校(現,東京女子体育大学)に勤め,08年には校長となって同校を中興し,事実上の創立者と称されるようになった。そのかたわら東京女子医専に学び,またヨーロッパの体育を視察,女子の服装姿勢の研究で独特の理論を展開するとともに,ドイツの自然体操を奨励した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤村トヨ」の解説

藤村トヨ ふじむら-トヨ

1877-1955 明治-昭和時代の体育指導者。
明治10年6月16日生まれ。伊沢ヱイの姉。明治37年体操科文部省検定試験合格女性第1号となる。41年東京女子体操音楽学校(現東京女子体育大)校長となり,同校の基礎をきずく。健康な女性をつくるためにドイツ体操を奨励。女子体育指導者の育成につくした。昭和30年1月18日死去。77歳。香川県出身。東京女子医専(現東京女子医大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤村トヨの言及

【着物】より

…一般の着物については,1902年実践女学園校長下田歌子らが改良の必要を説き,試案を出したのが始まりである。東京女子体操音楽学校校長藤村トヨは女の着物の欠点を科学的に研究し,1915年に一種の改良服をつくったが,それは朝鮮服に近いもので,広く用いられずにおわった。しかし1923年の関東大震災で着物の欠点が暴露されてから,社会的関心が高まり,そのころから改良運動はようやく盛んとなった。…

※「藤村トヨ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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