藤沼庄平(読み)フジヌマ ショウヘイ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「藤沼庄平」の解説

藤沼 庄平
フジヌマ ショウヘイ


肩書
貴院議員(勅選),衆院議員(政友会),警視総監

旧名・旧姓
旧姓=若田部

生年月日
明治16年2月17日

出生地
栃木県

学歴
東京帝大法科大学政治科〔明治42年〕卒

経歴
昭和43年内務省に入り、岡山県都窪郡長、奈良・鹿児島・京都・大阪各府県警察部長、茨城県知事、内務省警保局長を歴任し、大正12年虎ノ門事件で辞職。昭和2年新潟県知事となり、3年栃木県から衆院選に当選、立憲政友会に属した。7年東京府知事、同年5月警視総監。8年勅選貴院議員。11年広田弘毅内閣の内閣書記官長。武徳会理事長。戦後東京都長官兼警視総監、枢密顧問官などを務めた後公職追放。のちニッポン放送顧問を務めた。

没年月日
昭和37年1月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「藤沼庄平」の解説

藤沼 庄平
フジヌマ ショウヘイ

大正・昭和期の内務官僚,政治家 貴院議員(勅選);衆院議員(政友会);警視総監。



生年
明治16(1883)年2月17日

没年
昭和37(1962)年1月2日

出生地
栃木県

旧姓(旧名)
若田部

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治科〔明治42年〕卒

経歴
昭和43年内務省に入り、岡山県都窪郡長、奈良・鹿児島・京都・大阪各府県警察部長、茨城県知事、内務省警保局長を歴任し、大正12年虎ノ門事件で辞職。昭和2年新潟県知事となり、3年栃木県から衆院選に当選、立憲政友会に属した。7年東京府知事、同年5月警視総監。8年勅選貴院議員。11年広田弘毅内閣の内閣書記官長。武徳会理事長。戦後東京都長官兼警視総監、枢密顧問官などを務めた後公職追放。のちニッポン放送顧問を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤沼庄平」の解説

藤沼庄平 ふじぬま-しょうへい

1883-1962 大正-昭和時代の官僚,政治家。
明治16年2月17日生まれ。内務省にはいり,大正13年警保局長。昭和3年衆議院議員。7年東京府知事,五・一五事件後に警視総監となる。8年貴族院議員。戦後は東京都長官兼警視総監をつとめた。昭和37年1月2日死去。78歳。栃木県出身。東京帝大卒。旧姓は若田部。著作に「私の一生」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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