プロ野球選手(投手:右投右打)、監督。8月7日、愛媛県生まれ。西条北高(現、西条高)を経て1952年(昭和27)に慶応義塾大学へ進学、通算31勝をあげながら、卒業するまで一度も優勝を経験することができず、力投するも報われない「悲運のエース」というイメージがついて回った。1956年に日本石油へ入社し、1957年読売ジャイアンツ(巨人)に入団。1年目は17勝で新人王、2年目の1958年は29勝、翌1959年には27勝で最多勝利、両年とも防御率2位という好成績で2年連続最高殊勲選手(現、最優秀選手)となった。巨人は1955年からリーグ5連覇を達成し、藤田は第二期黄金時代の末期をエースとして支えた。しかしその後、肩を痛めて1964年限りで引退、実働は8年という短い期間であった。しかし、監督業に転じてからは悲運の印象を払拭(ふっしょく)した。1981年から1983年と、1989年(平成1)から1992年の二度にわたって巨人監督を務め、リーグ優勝4回、日本一2回に輝いた。なかでも、近鉄バファローズに3連敗してから4連勝し、逆転で日本一となった1989年の日本シリーズは、いまでも語りぐさになっている。
[出村義和 2016年9月16日]
選手としての8年間の通算成績は、登板試合364、投球回1701、119勝88敗、防御率2.20、奪三振924、完投70、完封17。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多勝利1回、最高勝率2回、最高殊勲選手(現、最優秀選手)2回、ベストナイン1回。監督としての通算成績(7年)は、910試合、516勝361敗33分け、勝率5割8分8厘、リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝2回。1996年(平成8)野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
『松下茂典著『ドンを越えた男』(1990・ダイヤモンド社)』▽『藤田元司著『藤田前監督 巨人軍を語る』(1993・日本放送出版協会)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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