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藤田文蔵 ふじた ぶんぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤田文蔵 ふじた-ぶんぞう

1861-1934 明治-昭和時代前期の彫刻家。
文久元年8月6日生まれ。国沢新九郎の彰技堂をへて,明治9年工部美術学校に入学,ラグーザに彫刻をまなぶ。肖像彫刻で知られ,東京美術学校(現東京芸大)教授や女子美術学校(現女子美大)初代校長をつとめた。昭和9年4月9日死去。74歳。因幡(いなば)(鳥取県)出身。作品に「陸奥宗光像」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤田文蔵

没年:昭和9.3.9(1934)
生年:文久1.8.6(1861.9.10)
明治大正期の彫刻家。因幡(鳥取県)に生まれ,田中家から藤田家に養子入りする。洋画家を志して上京。国沢新九郎の洋画塾彰技堂に学ぶ。明治9(1876)年,工部美術学校開校とともに彫刻科に入学してラグーザに師事。15年,同科卒業。17年,彫刻専門学校を設立しようとするが失敗。23年より東京美術学校(東京芸大)雇,33年より38年まで同校教授を務める一方,32年,東京女子美術学校(女子美大)を創立して校長となった。10年に洗礼を受けた熱心なクリスチャンで,大正8(1919)年に四谷キリスト教会の牧師となった。銅像制作を得意とし,代表作に「陸奥宗光像」などがある。

(山梨絵美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

大辞林 第三版の解説

ふじたぶんぞう【藤田文蔵】

1861~1934) 彫刻家。因幡生まれ。工部美術学校でラグーザに師事。女子美術学校の校長を務め、美術教育にも力を注いだ。

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世界大百科事典内の藤田文蔵の言及

【明治・大正時代美術】より

… 一方,工部美術学校の彫刻教師としてV.ラグーザが1875年に迎えられ,本格的な洋風彫塑を初めて伝える。ラグーザは15年間同校にあって,その門下からは大熊氏広(1856‐1934),藤田文蔵(1861‐1934),小倉惣次郎(1843‐1913),佐野昭(しよう)らが育った。彼らに加えて,81年から5年間ベネチアで学んだ長沼守敬(もりよし)が洋風彫塑の開拓者といえようが,国粋主義の伝統復興運動のさなかに設立された東京美術学校では,木彫だけが採用され,竹内久一(きゆういち)(1857‐1916),高村光雲,石川光明,山田鬼斎(1864‐1901)が登用された。…

【ラグーザ】より

…日本に初めて肉付け(モデリング)の技法を紹介し,セッコウの型取りや大理石の彫法あるいは建築の装飾にいたるまで基礎実技を指導した。弟子には大熊氏広(1856‐1934),後に女子美術学校を創設する藤田文蔵(1861‐1934)などがいる。ラグーザはロダンの彫刻が紹介される以前の,日本における近代彫刻史の序章を担う重要な役目を果たしたが,82年工部美術学校彫刻学科廃止後,妻となる清原玉(1861‐1939)をともなって帰国。…

※「藤田文蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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