藤野忠次郎(読み)フジノ チュウジロウ

20世紀日本人名事典 「藤野忠次郎」の解説

藤野 忠次郎
フジノ チュウジロウ

昭和期の実業家 元・三菱商事社長



生年
明治34(1901)年2月21日

没年
昭和60(1985)年7月23日

出生地
埼玉県

学歴〔年〕
東京大学法学部法律学科〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和41年〕,勲二等旭日重光章〔昭和46年〕,勲一等瑞宝章〔昭和56年〕

経歴
大正14年三菱商事に入社戦後、渉外部長として財閥解体GHQとの折衝役を務め、昭和29年の三菱商事再統合で常務、41年社長、49年会長に就任。社長時代は沈滞気味だった社内を活性化して総合商社トップの座を不動のものにしており、同社“中興の祖”といわれる。また三菱グループ首脳の集まりである金曜会の代表としてグループの結束に努めたほか、40年代の国交正常化前の中国にグループ企業の代表を率いて訪ね、日中貿易拡大に先鞭をつけた。44年から56年まで東京商工会議所副会頭。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤野忠次郎」の解説

藤野忠次郎 ふじの-ちゅうじろう

1901-1985 昭和時代後期の経営者
明治34年2月21日生まれ。昭和22年三菱商事取締役渉外部長となり,財閥解体をめぐりGHQとの折衝にあたる。41年再統合された三菱商事の社長,49年会長。原油など海外資源の開発輸入につとめ,日本高度経済成長に貢献した。昭和60年7月23日死去。84歳。埼玉県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「藤野忠次郎」の解説

藤野 忠次郎 (ふじの ちゅうじろう)

生年月日:1901年2月21日
昭和時代の実業家。三菱商事社長;東京商工会議所副会頭
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android