藤間村(読み)とうまむら

日本歴史地名大系 「藤間村」の解説

藤間村
とうまむら

[現在地名]富士市蓼原たでわら

蓼原村南東に位置し、一部が潤井うるい川右岸に接する。一部は藤間村の村域と錯綜している。北部に加島かじま新田開発によって成立した藤間新田(加島藤間村)がある。寛永改高附帳に藤間村とみえ、田方一〇二石余・畑方九石余。延宝七年(一六七九)加島領郷帳(須津文書)では藤間村高一三七石余、田一二町三反余・畑一反余・屋敷一町余。同加島新田高一四石余、反別田一町四反余・畑二反余、屋敷七畝余。


藤間村
ふじまむら

[現在地名]いわき市平藤間たいらふじま

太平洋に面し、北と西は下大越しもおおごえ村、南は下高久しもたかく村。天正一五年(一五八七)一〇月七日の岩城常隆安堵状(秋田藩家蔵岩城文書)によれば「藤間之百姓成敗之事并山野」が志賀筑前守に安堵されている。磐前いわさき郡に属した。近世領主変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)以降幕府領。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では高一八六石余。正保郷帳では田方一〇九石余・畑方七七石余。元禄郷帳では高二四七石余。延享四年の村明細帳(内藤家文書)によれば、本田高二四六石余・新高二五八石余、家数六六(うち百姓三二・水呑三一)、人数二八二、馬三一で、小物成に塩竈年貢・棒手振役がある。


藤間村
とうまむら

[現在地名]行田市藤間

見沼代用水の東岸、下須戸しもすど村の南、小針こばり村の東にあたる。寛永一二年(一六三五)の忍領御普請役高辻帳(中村家文書)に村名がみえ、旗本領で役高一〇九石余。田園簿によると田高六〇石・畑高四九石、旗本加藤領。国立史料館本元禄郷帳、「風土記稿」成立時、幕末の改革組合取調書でも同家領で、同家領として推移したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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