藪ノ内町(読み)やぶのうちちよう

日本歴史地名大系 「藪ノ内町」の解説

藪ノ内町
やぶのうちちよう

[現在地名]熊本市城東じようとう

北は上林かみばやし町、南は手取本てとりほん町、東は上通かみとおり町、西は坪井つぼい川に囲まれ、いわば上通町の裏側の町である。昭和二八年(一九五三)六月二六日の大水害を受け、坪井川の改修によって現在はやや細長い四角形となっているが、江戸時代や明治初年の絵図によると、千葉ちば城の下を流れる坪井川が現在の流れよりもさらに東に突出するため、手取本町通を底辺とする台形となっている。江戸時代この地域はすべて武家屋敷であったため町名がなかったが、明治六年(一八七三)江戸時代の俗称をもってヤブノ内と称し、同一三年藪ノ内町と名称され、町のなかに犬殺いぬころシ、一番丁、二番丁が名付けられた。同年の絵図によると、上通三丁目南端から坪井川に至る通り(現城東町四番地と五番地の境界道)と、上通四丁目南端から坪井川に至る通りによって大きく三つに分れる。上通三丁目南端から坪井川に至る通りより南側地域が藪ノ内一番丁、同四丁目南端から坪井川に至る通りより南側一帯を藪ノ内二番丁と称し、犬殺シは藪ノ内一番丁から北の上林町に至る小路で(現上通町八番地と城東町五番地との境界道)、上通町三丁目の裏通りとなっている。

江戸時代の絵図によると、一番丁・二番丁通りはいずれも坪井川まで貫通せず、中途先端から南北に小路を分岐する。また上通町五丁目の中ほどから西に入り、曲折して二番丁通に結びつく小路もあり、非常に複雑である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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