日本歴史地名大系 「虎居城跡」の解説
虎居城跡
とらいじようあと
答院
答院郡司大前道助により築かれ、鎌倉初期にはその子孫道透が在城したとする。道助は康治元年三月一日に譲状(「大前道助譲状案」
答院記)を書いた人物で、大前氏は
答院の地頭として渋谷五族の一人渋谷重保(重直)が下向したとされる。重保の子孫は渋谷氏系
答院氏となり、南北朝初期から大前氏と抗争し始め、後期には大前氏を圧倒した。
答院氏は
答院氏の拠城になったと思われるが築城関連史料はない。
応安四年(一三七一)以降答院氏はほぼ一貫して守護島津氏に対抗し、入来院・高城・東郷の各氏と山北四族とよばれる連携行動をとった。まず同五年島津総州家師久方および九州探題今川了俊方となって各地で合戦し(島津国史)、同年六月入来院重門に率いられ師久方の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報