朝日日本歴史人物事典 「虎屋上総掾」の解説
虎屋上総掾
江戸前期の古浄瑠璃の太夫。通称次郎兵衛。前名喜太夫。明暦4(1658)年に上総目 を受領するが,上総少掾,上総掾藤原正信と名乗る。虎屋源太夫の門弟といわれ,明暦の大火(1657)以前にすでに入洛,四条河原で山城左内(若狭守吉次)や伊勢島宮内と競演する。その曲節は平家語りとも幸若舞曲とも謡とも分からぬ「島もの」と評された。在来の京風の浄瑠璃とは一風違ったようだが,語り物から察して金平風だけでなく柔らかみのある語り口であったと思われる。寛文2(1662)年には院参の栄に浴し「今川(物語)」「金平(法門諍)」を叡覧に入れるなど,名人とうたわれた。<参考文献>横山重『古浄瑠璃正本集(3)』解題
(安田富貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報