蛭田玄仙(読み)ひるた・げんせん

朝日日本歴史人物事典 「蛭田玄仙」の解説

蛭田玄仙

没年:文化14.1.3(1817.2.18)
生年:延享2(1745)
江戸後期産科医。字は至徳,号は東翁,諱 は克明。玄仙は名。陸奥白川郡(福島県)渡瀬村の農家の子。幼少のころより学問を好み,書籍,師に恵まれなかったことから独学で医を学んだ。また賀川玄悦の『産論』をみて発奮し,産科を修得する。32歳のとき産婆が産婦の取り扱いを誤っているのをみて,自ら工夫し産婦を助けた。以来関東各地を巡回して多くの産婦を治し,医名を高め,門人は数百人におよんだという。著書を残していないが,門人たちが著した『田子産則全書』『蛭田流奥秘真訣』などによると,仰臥位分娩や用手法による胎児救出など当時として画期的な産科術を実施していたことがわかる。<参考文献>二宮陸雄『蛭田玄仙とその産科』

(蔵方宏昌)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蛭田玄仙」の解説

蛭田玄仙 ひるた-げんせん

1745-1817 江戸時代中期-後期の医師
延享2年生まれ。陸奥(むつ)白川郡(福島県)の農家の子。独学で産科をおさめて評判をとり,東翁と称された。門人が「産科新編」「田氏産則全書」を刊行し,師の説をつたえた。文化14年1月3日死去。73歳。名は克明。字(あざな)は至徳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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