蜂巣村(読み)はちすむら

日本歴史地名大系 「蜂巣村」の解説

蜂巣村
はちすむら

[現在地名]黒羽町蜂巣

那須扇状地扇端湧水地帯にあり、大部分が平地。南は余瀬よぜ村、北は檜木沢ひのきざわ村。関街道が南北に通る。北西部の台地を湧水を集めた大清水おおしみずが北西から南東に流れる。もとは蜂の巣はちのす村と多賀たが村との二村からなっていたといわれ、蜂の巣村は久寿二年(一一五五)三浦介義明が那須野で九尾の狐狩をしたとき大きな蜂の巣を発見したことにちなみ、多賀村は近江多賀神社(現滋賀県犬上郡多賀町)を勧請したことによるとされる。

天正一八年(一五九〇)大関氏が豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「蜂巣」があり、「川きや・ふつく禰・ふくさい」とともに一六四石七斗八升(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。以後黒羽藩領。寛永一九年(一六四二)の家中分限帳(滝田馨文書)では蜂巣を知行所とする蜂巣四郎左衛門の名がみえる。慶安郷帳では川西かわにし村に含まれる。「創垂可継」には枝村として(於)多賀たが村・古林ふるばやし村があげられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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