中世武士の武芸鍛練法の一つ。騎馬で犬を追射する競技で笠懸,流鏑馬(やぶさめ)とともに騎射三物(きしやみつもの)の一つとされた。竹垣で囲んだ馬場に犬を放ちこれを馬上より射るもので,矢は的を傷つけぬように鏃(やじり)をささず,鳴鏑(なりかぶら)を大きくした蟇目(ひきめ)を使用した。馬場は70杖(じよう)(1杖は約7尺5寸)四方の竹垣をめぐらし中央に縄で同心円を二重につくる。ふつう三手に分かれて12騎が一手となり,検見の合図により開始され,白犬150匹を10匹ずつ15度に分けて行われる。射手の賞・不賞はその乗法と射法によって決せられた。追物射(おうものい)という語から発した犬追物は古来,獣を追い射る行為をさし,平安期には牛を用いる牛追物が行われた。鎌倉時代になって犬追物が広く武士の武芸鍛練の射芸として愛好されるようになり,鎌倉中期以降形式が整ったが,後世,戦闘法の変化とあいまってしだいに衰退した。なお射技には長井,二階堂,武田,小笠原,吉良,今川などの諸流がある。
執筆者:関 幸彦
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走る犬を馬上から弓矢で射て優劣を競う武技。文献上の初見は1207年(『明月記』承元元年)で、当初は京洛(けいらく)を中心に催されていたようであるが、その直後には鎌倉にも伝えられており、以後室町時代にかけて、武士の必須(ひっす)の武技として盛んに行われた。この間に故実が整うとともに大規模となり、室町時代には諸役も増え、射手は36騎、犬150匹を本式としている。馬場は弓杖(ゆみづえ)70杖(じょう)(1杖約2.27メートル)四方に垣を巡らし、その中に直径1杖の小縄と、4杖の大縄とよぶ同心円を設け、大縄の外周には鏟際(けずりぎわ)と称する幅1杖半の色砂を敷く。射手は鏟際に馬を乗り入れ、小縄内で放った犬を大縄内、さらにはその外までも追って射、検見(けんみ)が優劣を判定した。射手36騎の場合、12騎ずつ三手に分かれ、一手につき10匹の犬を4騎ずつ交代に射るが、最初の1匹は見逃すのを故実としている。これを15回行う。射手は行縢(むかばき)をはき、犬射籠手(いぬいこて)をさすのが特徴で、矢は犬を殺傷しない犬射蟇目(いぬいひきめ)を用いる。室町時代末期以降は衰退、江戸時代に入って島津家で再興され、同家は1646年(正保3)以来、江戸でもたびたび興行しているが、明治に至って廃絶した。
[宮崎隆旨]
馬場に犬を放って騎馬で追いかけ,響目矢(ひきめや)で追物射(おものい)にする武芸。流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)とともに,馬上の三物(みつもの)と称されるが,挙行記事は他の二つよりも遅く,「吾妻鏡」承久4年(1222)2月6日条が初見。当初は小規模だったが,徐々に作法が整備されて大規模になった。室町時代には,はずし弓70杖四方の馬場に垣をめぐらし,中央に縄で二重の円をつくる。小円に犬を放ち,これを大円の外から馬上より射る。また大円の外に逃げてくる犬を射ることも行われた。諸役のほか射手36騎,犬150匹を例とした。
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