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蜂須賀斉裕 はちすか なりひろ

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美術人名辞典の解説

蜂須賀斉裕

江戸後期の大名。阿波藩主第十五世。号翼斎、橘園、大龍公。父将軍文華公家斉の子。母は土屋氏忠兵衛知光養女、実は牧野多門忠克の女。斉昌の養子。国事につくす。井上文雄を延いて和歌を楽むこと30年の久しきに及ぶ。歿後2年嗣子茂昭その集を上梓する。名づけて『うづかもと』と云う。慶応4年(1868)歿、48才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蜂須賀斉裕 はちすか-なりひろ

1821-1868 江戸時代後期の大名。
文政4年9月19日生まれ。徳川家斉(いえなり)の22男。蜂須賀斉昌(なりまさ)の養子となり,天保(てんぽう)14年(1843)阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀家13代。ペリー来航の際には江戸湾を警備,さらに藩の海防の充実をはかる。公武合体路線をとり,幕府の陸軍・海軍総裁となった。慶応4年1月6日死去。48歳。幼名は松菊。

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朝日日本歴史人物事典の解説

蜂須賀斉裕

没年:明治1.1.6(1868.1.30)
生年:文政4.9.19(1821.10.14)
幕末維新期の阿波(徳島県)藩蜂須賀家第13代当主。幼名松菊,通称は阿波守。11代将軍徳川家斉の第22子として江戸城に生まれ,文政10(1827)年閏6月に阿波藩主蜂須賀斉昌の養子に迎えられた。天保14(1843)年の襲封とともに幕末の多難な情勢に対応すべく藩財政を充実して軍制改革に取り組み,淡路の由良と岩屋に砲台を設けるなど藩領沿岸部の海防に力を注いだ。嘉永6(1853)年のペリー来航に際して,阿波藩には江戸湾の大森,羽田の警備が幕府から割り当てられた。幕末の政局にあっては公武合体路線をとり,文久2(1862)年に幕府の陸軍総裁に就任し,海軍総裁をも兼ねた。慶応1(1865)年には徳島城下に洋学校を設けて人材の育成に努め,また英公使パークスとアーネスト・サトウを徳島に招いて国際情勢についての説明を求めるなど開明的藩主として活動した。徳島城内で死去。<参考文献>小出植男『蜂須賀斉裕

(笠谷和比古)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の蜂須賀斉裕の言及

【陸軍総裁】より

…幕末の江戸幕府陸軍の総轄者。幕府は軍制改革の過程で1862年(文久2)西洋式の陸軍三兵を組織し,元帥に相当する陸軍総裁職を設け,12月8日徳島藩主蜂須賀斉裕(なりひろ)を任じた。翌年1月斉裕が辞任の後,陸海軍の総括は老中の任務となり,64年(元治1)から65年(慶応1)にかけては海陸軍総奉行兼帯の老中格松前崇広(たかひろ)が陸海軍行政の専任を務めた。…

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