朝日日本歴史人物事典 「蜂須賀斉裕」の解説
蜂須賀斉裕
生年:文政4.9.19(1821.10.14)
幕末維新期の阿波(徳島県)藩蜂須賀家第13代当主。幼名松菊,通称は阿波守。11代将軍徳川家斉の第22子として江戸城に生まれ,文政10(1827)年閏6月に阿波藩主蜂須賀斉昌の養子に迎えられた。天保14(1843)年の襲封とともに幕末の多難な情勢に対応すべく藩財政を充実して軍制改革に取り組み,淡路の由良と岩屋に砲台を設けるなど藩領沿岸部の海防に力を注いだ。嘉永6(1853)年のペリー来航に際して,阿波藩には江戸湾の大森,羽田の警備が幕府から割り当てられた。幕末の政局にあっては公武合体路線をとり,文久2(1862)年に幕府の陸軍総裁に就任し,海軍総裁をも兼ねた。慶応1(1865)年には徳島城下に洋学校を設けて人材の育成に努め,また英公使パークスとアーネスト・サトウを徳島に招いて国際情勢についての説明を求めるなど開明的藩主として活動した。徳島城内で死去。<参考文献>小出植男『蜂須賀斉裕』
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報