蜂須賀斉裕(読み)はちすか なりひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜂須賀斉裕」の解説

蜂須賀斉裕 はちすか-なりひろ

1821-1868 江戸時代後期の大名
文政4年9月19日生まれ。徳川家斉(いえなり)の22男。蜂須賀斉昌(なりまさ)の養子となり,天保(てんぽう)14年(1843)阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀家13代。ペリー来航の際には江戸湾を警備,さらに藩の海防の充実をはかる。公武合体路線をとり,幕府陸軍海軍総裁となった。慶応4年1月6日死去。48歳。幼名松菊

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367日誕生日大事典 「蜂須賀斉裕」の解説

蜂須賀斉裕 (はちすかなりひろ)

生年月日:1821年9月19日
江戸時代末期の大名
1868年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の蜂須賀斉裕の言及

【陸軍総裁】より

…幕末の江戸幕府陸軍の総轄者。幕府は軍制改革の過程で1862年(文久2)西洋式の陸軍三兵を組織し,元帥に相当する陸軍総裁職を設け,12月8日徳島藩主蜂須賀斉裕(なりひろ)を任じた。翌年1月斉裕が辞任の後,陸海軍の総括は老中の任務となり,64年(元治1)から65年(慶応1)にかけては海陸軍総奉行兼帯の老中格松前崇広(たかひろ)が陸海軍行政の専任を務めた。…

※「蜂須賀斉裕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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