海軍総裁(読み)かいぐんそうさい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海軍総裁
かいぐんそうさい

江戸時代末期の幕府職名。低下した幕府権力を回復するため,すでに文久1 (1861) 年から幕制改革案が検討され,特に海陸軍の拡充が目指されていた。慶応2 (66) 年に設置され,イギリス海軍の伝習などを主宰。初代総裁は老中稲葉正巳。同4年閏4月に廃止

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百科事典マイペディアの解説

海軍総裁【かいぐんそうさい】

幕末に設置された江戸幕府海軍を統轄する役職。1863年阿波徳島藩蜂須賀斉裕(はちすかなりひろ)が陸軍総裁兼任で任じられたが,のち老中が海軍を管轄。幕府職制改革後の1866年に老中格の稲葉正巳が就任して常置となる。1868年には稲葉に替わって旗本軍艦奉行並の矢田堀鴻が総裁,軍艦頭並の榎本武揚が副総裁に就任。
→関連項目海軍奉行

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世界大百科事典 第2版の解説

かいぐんそうさい【海軍総裁】

江戸末期,徳川幕府海軍の最高官職。1863年(文久2)12月,徳島藩主蜂須賀斉裕が陸軍総裁兼任で任命されたのが初例である。66年(慶応2)12月,老中格稲葉正巳が兼任してから常置の官職となり,翌年6月制定の内規では毎週日曜日にその役宅海軍奉行,同並,軍艦奉行が会議するとされた。68年(明治1)1月,稲葉にかわって矢田堀鴻が任命され,副総裁も置かれて榎本武揚が就任したが,幕府の瓦解とともに自然消滅した。

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大辞林 第三版の解説

かいぐんそうさい【海軍総裁】

幕末の江戸幕府の職名。1866年設置。将軍直属で幕府海軍を統轄。68年(明治1)廃止。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海軍総裁
かいぐんそうさい

幕末期、海軍の事務を統轄した江戸幕府の職名。1866年(慶応2)に設置。文久(ぶんきゅう)年間(1861~64)、幕府軍制掛の立案した軍改革案には最上位にその名がみえるが、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)(第15代将軍徳川慶喜)の幕政改革で実現。66年12月に、老中格より稲葉正巳(まさみ)(館山(たてやま)藩主)が兼任、68年1月よりは軍艦奉行並(ぶぎょうなみ)矢田堀鴻(やたぼりこう)(讃岐守(さぬきのかみ))が任じられ、閏(うるう)4月の辞任とともに廃止された。ちなみに、68年1月より榎本武揚(えのもとたけあき)が軍艦頭並から海軍副総裁となり、幕府海軍の実権を掌握した。[田中 彰]

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