蠣崎光広(読み)かきざき・みつひろ

朝日日本歴史人物事典 「蠣崎光広」の解説

蠣崎光広

没年永正15.7.12(1518.8.18)
生年康正2.3(1456)
室町戦国時代蝦夷島武将松前氏の祖武田信広長子。母は蠣崎季繁養女(安東政季の娘)。信広はコシャマインの蜂起鎮圧後,上国(北海道檜山郡上ノ国町)の花沢館主蠣崎季繁の家督を相続。永正10(1513)年松前(松前町)の大館がアイヌ民族の攻撃を受け,大館主,松前の守護職相原季胤,同補佐役村上政儀がともに自害するや,翌11年上国の勝山館から大館に移城し,蝦夷島の統括者である出羽檜山(秋田県能代市)安東氏からその代官たる地位を公認され,蝦夷島における唯一の現地支配者となった。<参考文献>『松前町史』通説編1巻上

(榎森進)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蠣崎光広」の解説

蠣崎光広 かきざき-みつひろ

1456-1518 室町-戦国時代の武将。
康正(こうしょう)2年3月生まれ。武田信広の長男。蝦夷(えぞ)地(北海道)上ノ国勝山館主。永正(えいしょう)10年(1513)松前の大館がアイヌに攻撃され松前守護職の相原季胤(すえたね)が戦死すると,翌年勝山館から大館にうつり,蝦夷地南西部を管轄していた出羽(でわ)檜山(秋田県)の安東尋季からその地の支配権を認められた。永正15年7月12日死去。63歳。

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