朝日日本歴史人物事典 「蠣崎光広」の解説
蠣崎光広
生年:康正2.3(1456)
室町・戦国時代の蝦夷島の武将。松前氏の祖武田信広の長子。母は蠣崎季繁の養女(安東政季の娘)。信広はコシャマインの蜂起鎮圧後,上国(北海道檜山郡上ノ国町)の花沢館主蠣崎季繁の家督を相続。永正10(1513)年松前(松前町)の大館がアイヌ民族の攻撃を受け,大館主,松前の守護職相原季胤,同補佐役村上政儀がともに自害するや,翌11年上国の勝山館から大館に移城し,蝦夷島の統括者である出羽檜山(秋田県能代市)安東氏からその代官たる地位を公認され,蝦夷島における唯一の現地支配者となった。<参考文献>『松前町史』通説編1巻上
(榎森進)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報