コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

蠣崎光広 かきざき みつひろ

2件 の用語解説(蠣崎光広の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蠣崎光広 かきざき-みつひろ

1456-1518 室町-戦国時代の武将。
康正(こうしょう)2年3月生まれ。武田信広の長男。蝦夷(えぞ)地(北海道)上ノ国勝山館主。永正(えいしょう)10年(1513)松前の大館がアイヌに攻撃され松前守護職の相原季胤(すえたね)が戦死すると,翌年勝山館から大館にうつり,蝦夷地南西部を管轄していた出羽(でわ)檜山(秋田県)の安東尋季からその地の支配権を認められた。永正15年7月12日死去。63歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

蠣崎光広

没年:永正15.7.12(1518.8.18)
生年:康正2.3(1456)
室町・戦国時代の蝦夷島の武将。松前氏の祖武田信広の長子。母は蠣崎季繁の養女(安東政季の娘)。信広はコシャマインの蜂起鎮圧後,上国(北海道檜山郡上ノ国町)の花沢館主蠣崎季繁の家督を相続。永正10(1513)年松前(松前町)の大館がアイヌ民族の攻撃を受け,大館主,松前の守護職相原季胤,同補佐役村上政儀がともに自害するや,翌11年上国の勝山館から大館に移城し,蝦夷島の統括者である出羽檜山(秋田県能代市)安東氏からその代官たる地位を公認され,蝦夷島における唯一の現地支配者となった。<参考文献>『松前町史』通説編1巻上

(榎森進)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

蠣崎光広の関連キーワード松前城松前植村持益蠣崎季広佐治宗貞戸田宗光松平乗元松前氏広松前高広竜造寺家兼

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone