フニャディ(その他表記)Hunyadi János

改訂新版 世界大百科事典 「フニャディ」の意味・わかりやすい解説

フニャディ
Hunyadi János
生没年:1407ころ-56

ハンガリー軍人,政治家。ルーマニアのワラキア地方の貴族出身。父がジグムント国王近衛兵としてトランシルバニアフニャディ城を得たときからハンガリーへ移る。1441年からトランシルバニア公,ラメシュ県知事。国王ウラースロー1世(ウワディスワフ3世。在位1440-44)のもとで対トルコ防衛軍を指揮し,しばしばオスマン・トルコ軍を破った。その軍事的功績のゆえに恩貸地を与えられ,ハンガリー最有力の領主となった。1444年にバルナの戦で国王が死ぬと,国内は完全に封建的無政府状態となるが,その中で大貴族に対立する中貴族に推されて,46年に摂政となる。中央権力と国防力の強化に努め,反大貴族,反ハプスブルクの政策を追求。52年にハプスブルク家からウラースロー5世を迎えて,自身は総司令官となり,56年からのトルコの進撃をベオグラードで破ったが,疫病にかかって死去した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フニャディ」の意味・わかりやすい解説

フニャディ
Hunyadi János

[生]1407? トランシルバニア,フニャド
[没]1456.8.11. ベオグラード
ハンガリーの軍人,政治家。ワラキア公国のルーマニア系貴族の出身。軍人として,オスマン帝国との戦役に従軍。若くしてジギスムント王の宮廷に仕え,トランシルバニア侯に任じられた。 1446年下層貴族に支持されて幼王ラースロー5世の摂政となった。 1456年ベオグラードの戦いにおいてオスマン帝国軍を大破,以後 70年間のハンガリーの独立を確保したが,勝利の直後黒死病にかかって陣没

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