赤子養育仕法(読み)あかごよういくしほう

日本大百科全書(ニッポニカ)「赤子養育仕法」の解説

赤子養育仕法
あかごよういくしほう

江戸中期以降進行する農村荒廃への対応として行われた人口の維持・増加政策の一つ。1767年(明和4)江戸幕府は「出生之子取扱之儀御触書(おふれがき)」を出し、出生の子を産所で殺すことを禁じたが、諸藩も堕胎(だたい)、陰殺を禁ずるとともに、産子養育のための産着料や養育料を与えるなどの方策を講じた。会津、仙台、秋田、鹿児島など九州、および東北地方の諸藩がとくにこの仕法に熱心で、藩政改革の一環として実施されている。この思想は明治維新後も存続し、1869年(明治2)2月には日田(ひた)県(現大分県)知事松方正義(まつかたまさよし)のもとで、貧児・捨て子を収容する養育館が設立されている。養育館は、当時の咸宜園(かんぎえん)塾長広瀬林外(りんがい)(淡窓(たんそう)の養子、旭窓(きょくそう)の子)の建策といわれ、その経費は日田の豆田(まめだ)、(くま)両町や、在方(ざいかた)の豪農商の寄付で賄われた。しかし、1873年10月には資金が行き詰まり、廃館となった。

[豊田寛三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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