衣黒山遺跡(読み)いぐろやまいせき

日本歴史地名大系 「衣黒山遺跡」の解説

衣黒山遺跡
いぐろやまいせき

[現在地名]大西町宮脇

大西町を大井浜おおいはまに向かって南から北に貫流する山之内やまのうち川右岸、独立山丘イグロ山(三七・六メートル)にあった弥生末期―古墳期の墳墓群。長さ約三〇〇メートル、幅約一〇〇メートル余のこの独立山丘は、西北端と東南部に池を擁し景勝の地でもあったが、漸次開墾されて多く果樹園となり、さらに住宅地化する過程で墳墓群は消滅した。

とくにこの丘陵北端には、方形に近い台状の部分に土を長方形に掘り下げた土壙墓が三基と、土を楕円形に掘り下げた内部に二個の土器を合せ口にした幼児用と思われる壺棺一基が見いだされた。前三者では、土壙の底に長方形に栗石を十数個並べたり、粘土を細く敷きめぐらしており、おそらく木棺の台と考えられるものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む