日本大百科全書(ニッポニカ) 「西アジア芸能」の意味・わかりやすい解説
西アジア芸能
にしあじあげいのう
西アジアの芸能は、歴史的にみて、イスラム以前とイスラム以後とに二分することができる。以下は、主としてイスラム以後の時代について述べる。イスラム以後の西アジア世界は、一般にアラブ、トルコ、イランなどの文化圏に便宜的に分けられるが、それらに共通するのがイスラム文化である。宗教としてのイスラムは、芸能の主要な要素である音楽と踊りとをけっして奨励するものではなかったが、これらは人間生活にとって欠くことのできないものであり、歴史を通じてさまざまに発展した。また、イスラム以前に都市文明の栄えた西アジアでは、すでにさまざまな文化が発達しており、それがイスラム時代に引き継がれた。トルコ人の場合には、故地である中央アジア文化の名残(なごり)をとどめている。
[永田雄三]
音楽
ササン朝時代のイランに発達した音楽は、イスラム時代に入って、アッバース朝(750~1258)の首都バグダードで開花し、ギリシア音楽の理論なども取り入れられて、イスラム古典音楽として成立した。その後、トルコ系セルジューク朝(1038~1194)の宮廷では、イラン・アラブ音楽が摂取され、それはオスマン朝(1299~1922)時代を通じて洗練されたトルコ古典音楽として集大成された。また、オスマン朝の軍楽隊の音楽が、トルコ行進曲やブラスバンドを生み出すきっかけになったことはよく知られている。一方、民族音楽や大衆音楽のジャンルでは、トルコのように、中央アジアのトルコ人やモンゴル人の音楽を継承した場合があり、それは、追分などわが国の民謡に通じるものがある。大衆音楽は、主として都市に住む民衆の間に流布し、エジプトの国民的歌手ウンム・クルスームUmm Kulthūm(1908―75)が歌う叙情的大衆音楽はイランやトルコでも盛んである。
[永田雄三]
語物
イスラム以前のアラビア半島において、アラブ諸部族の戦闘を物語ることに発したアラブの語物師(カーッスqā)は、イスラム時代になると、民衆にコーランや預言者ムハンマド(マホメット)の伝記を語ることによってイスラムの大衆化に大きな役割を果たした。イランでは、古代のシャー(王)たちの事績を語る語物師(シャーナーメ・ハーンshāhnāmeh-khān)の伝統が、古くから存在した。トルコでは、メッダーフmeddāhとよばれる語物師が片手にハンカチ、片手に杖(つえ)を持ち、声色、物まね、宗教的逸話などを題材として、16世紀以後のイスタンブールを中心に発達した。また、サズsazとよばれる民族楽器を片手にトルコの英雄叙事詩などを弾き語りするオザンozanないしアーシュクāşikとよばれる吟遊詩人が、都市ばかりではなく村や遊牧民の間を巡回していた。イランでは、シーア派の発生にまつわる『カルバラーの悲劇』などを再現する殉教劇ターズィエta'ziyehが広く行われているが、これはトルコの村芝居同様、イスラム以前の西アジアに普遍的な死と再生とを象徴する農耕儀礼につながる要素をもっている。
[永田雄三]
影絵芝居
16世紀以後のイスタンブールで発達した影絵芝居カラギョズKaragözは、おそらく西アジアの芸能のなかでももっともよく知られたものであろう。これは、透明になめされたラクダの皮に彩色した人形をカーテンの後ろで操り、光線を当てたものである。その起源については定説はないが、インド洋を通じて、ジャワ島のワヤンの影響を受けた可能性がある。無学でがさつではあるが機知に富んだイスタンブールの庶民カラギョズと、気どったインテリであるハジワトHacivatとの掛け合いを中心に、これにイスタンブールに住みあるいは訪れるさまざまな人々を巧みに戯画化して絡ませたものであり、イスタンブールの庶民文化をみごとに表している。同じトルコのオルタオユヌorta oyunuとよばれる即興劇はカラギョズの影響を強く受けているが、ここでも物まねが大きな要素となっている。イランではルーホズィru-hoziとよばれるコミカルな演劇の伝統がある。
イスラム化以後の西アジアでは、これらの芸能は、断食月の夜、犠牲祭、割礼式などの宗教的祝祭日を中心に、道化、軽業(かるわざ)などとともに王宮、広場、市などで演じられたが、とりわけ、16世紀以後に発展したコーヒーハウスはそのための格好の場所であった。19世紀以後、ヨーロッパの影響が西アジアに及ぶと、これら伝統芸能の多くは廃れ、西欧の音楽、演劇、映画などがそれにとってかわった。
[永田雄三]
『小泉文夫著『世界の民族音楽探訪』(1976・実業之日本社)』▽『山口昌男著『道化の宇宙』(1980・白水社)』▽『M. AndKaragöz;Turkish Shadow Theatre (Dost Yayinlari, 1975, Ankara)』▽『W. O. BeemanCulture, Performance and Communication (Institute for the Study of Languages and Cultures of Asia and Africa, Tokyo University of Foreign Studies, 1982)』