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西園寺実俊 さいおんじ さねとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西園寺実俊 さいおんじ-さねとし

1335-1389 南北朝時代の公卿(くぎょう)。
建武(けんむ)2年生まれ。西園寺公宗の長男。母は日野資名(すけな)の娘。康永3=興国5年従三位。文和(ぶんな)2=正平(しょうへい)8年叔父の公重が南朝につかえたため,北朝での家督となり,同年権(ごんの)大納言。内大臣をへて,貞治(じょうじ)5=正平21年右大臣。従一位。作歌が「新千載和歌集」などにはいっている。康応元=元中6年7月6日死去。55歳。初名は実名(さねかた)。号は後常盤井(のちのときわい)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

西園寺実俊

没年:康応1/元中6.7.6(1389.7.28)
生年:建武2(1335)
南北朝期の公卿。父は権大納言公宗,母は権大納言日野資名の娘。初名実名。『太平記』の伝えるところによれば,建武新政権の転覆を計画した父公宗が誅殺され,その百日忌当日に誕生したのが実俊であるという。貞治5/正平21(1366)年右大臣となる。公宗の逮捕後,公宗の異母弟公重が家督を継ぎ,その後公重と実俊との間で家督の往き来があったが,公重が南朝に祗候したのちは,実俊が北朝における家督となった。後常盤井殿とも称される。<参考文献>『西園寺家系譜』

(小森正明)

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世界大百科事典 第2版の解説

さいおんじさねとし【西園寺実俊】

1334‐89(建武1‐元中6∥康応1)
南北朝時代の公卿。西園寺公宗の息。母は日野資名の女。公宗は1335年(建武2)建武政権への反乱を企てて誅されたが,実俊は北朝に仕えて家を再興し,従一位,右大臣にまで進んだ。以後西園寺家は,摂関家に次ぐ家柄である清華家の一つとして明治維新に及ぶことになった。実俊は後常磐井入道前右大臣と称された。【山本 博也】

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