西園寺実俊(読み)さいおんじさねとし

改訂新版 世界大百科事典 「西園寺実俊」の意味・わかりやすい解説

西園寺実俊 (さいおんじさねとし)
生没年:1334-89(建武1-元中6・康応1)

南北朝時代公卿西園寺公宗の息。母は日野資名の女。公宗は1335年(建武2)建武政権への反乱を企てて誅されたが,実俊は北朝に仕えて家を再興し,従一位,右大臣にまで進んだ。以後西園寺家は,摂関家に次ぐ家柄である清華家の一つとして明治維新に及ぶことになった。実俊は後常磐井入道前右大臣と称された。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西園寺実俊」の解説

西園寺実俊 さいおんじ-さねとし

1335-1389 南北朝時代の公卿(くぎょう)。
建武(けんむ)2年生まれ。西園寺公宗の長男。母は日野資名(すけな)の娘。康永3=興国5年従三位。文和(ぶんな)2=正平(しょうへい)8年叔父の公重が南朝につかえたため,北朝での家督となり,同年権(ごんの)大納言。内大臣をへて,貞治(じょうじ)5=正平21年右大臣。従一位。作歌が「新千載和歌集」などにはいっている。康応元=元中6年7月6日死去。55歳。初名は実名(さねかた)。号は後常盤井(のちのときわい)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例