日野資名(読み)ひのすけな

改訂新版 世界大百科事典 「日野資名」の意味・わかりやすい解説

日野資名 (ひのすけな)
生没年:1287-1338(弘安10-延元3・暦応1)

鎌倉末期の公卿持明院統大覚寺統との対立の中にあって,持明院統側に立って活躍した。ことに光厳天皇に重用され,権大納言にすすんだ。1333年(元弘3),六波羅が足利尊氏に攻略されたとき,資名は,探題北条仲時に奉じられて退避した光厳天皇に供奉したが,近江番場(ばんば)で出家した。後醍醐天皇の討幕計画の首謀者の一人であった資朝は弟。日記に《資名卿記》がある。
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朝日日本歴史人物事典 「日野資名」の解説

日野資名

没年:暦応1/延元3.5.2(1338.5.21)
生年弘安8(1285)
鎌倉後期の公卿。父は権大納言日野俊光。資朝の兄。永仁4(1296)年左兵衛佐に任官。元徳3/元弘1(1331)年按察使となり,光厳天皇から深く信任された。正慶2/元弘3年5月,後醍醐軍の攻撃を受けた際,光厳天皇を奉じて北条仲時らと京都を脱出したが,近江番場(滋賀県米原町)で出家。建武3/延元1(1336)年,京中合戦で敗れた足利尊氏が九州へ逃れるに当たり,光厳上皇の院宣を欲した際,資名は尊氏の意向を受け,備後鞆津(福山市)において,院宣を尊氏に取り次ぐよう三宝院賢俊 とはかっている。

(佐藤和彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日野資名」の解説

日野資名 ひの-すけな

1287-1338 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
弘安(こうあん)10年生まれ。日野俊光の長男日野資朝(すけとも)の兄。鎌倉幕府が擁立した持明院統の光厳(こうごん)天皇に重用され,正二位,権(ごんの)大納言となる。後醍醐(ごだいご)方についた足利尊氏が六波羅(ろくはら)探題を攻めた際,光厳天皇を奉じ京都を脱出し,出家。のち尊氏が後醍醐天皇と対立すると,光厳上皇の院宣をとりつぎ,南北朝対立のきっかけをつくる。建武(けんむ)5=延元3年5月2日死去。52歳。

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世界大百科事典(旧版)内の日野資名の言及

【日野資朝】より

…この間,後醍醐天皇が記録所を開設するやその寄人に加えられ,また蔵人頭,検非違使別当等も務めた。こうして後醍醐天皇の大覚寺統にくみするようになり,持明院統の側に立つ,父の俊光や兄弟の日野資名・柳原資明とは別の道を歩むことになった。やがて後醍醐天皇が討幕を企図すると,日野俊基とともに策謀の中心となった。…

※「日野資名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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