日野資名(読み)ひのすけな

改訂新版 世界大百科事典 「日野資名」の意味・わかりやすい解説

日野資名 (ひのすけな)
生没年:1287-1338(弘安10-延元3・暦応1)

鎌倉末期の公卿持明院統大覚寺統との対立の中にあって,持明院統側に立って活躍した。ことに光厳天皇に重用され,権大納言にすすんだ。1333年(元弘3),六波羅が足利尊氏に攻略されたとき,資名は,探題北条仲時に奉じられて退避した光厳天皇に供奉したが,近江番場(ばんば)で出家した。後醍醐天皇の討幕計画の首謀者の一人であった資朝は弟。日記に《資名卿記》がある。
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関連語 山本

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日野資名」の解説

日野資名 ひの-すけな

1287-1338 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
弘安(こうあん)10年生まれ。日野俊光長男日野資朝(すけとも)の兄。鎌倉幕府が擁立した持明院統の光厳(こうごん)天皇に重用され,正二位,権(ごんの)大納言となる。後醍醐(ごだいご)方についた足利尊氏が六波羅(ろくはら)探題を攻めた際,光厳天皇を奉じ京都を脱出し,出家。のち尊氏が後醍醐天皇と対立すると,光厳上皇の院宣をとりつぎ,南北朝対立のきっかけをつくる。建武(けんむ)5=延元3年5月2日死去。52歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の日野資名の言及

【日野資朝】より

…この間,後醍醐天皇が記録所を開設するやその寄人に加えられ,また蔵人頭,検非違使別当等も務めた。こうして後醍醐天皇の大覚寺統にくみするようになり,持明院統の側に立つ,父の俊光や兄弟の日野資名・柳原資明とは別の道を歩むことになった。やがて後醍醐天皇が討幕を企図すると,日野俊基とともに策謀の中心となった。…

※「日野資名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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