日本歴史地名大系 「西大淵村」の解説 西大淵村にしおおぶちむら 静岡県:小笠郡大須賀町西大淵村[現在地名]大須賀町西大渕(にしおおぶち)・横須賀(よこすか)西大谷(にしおおや)川が形成した扇状地に位置し、村域は横須賀城下を挟んで南北に及ぶ。北部は西大谷とよばれる。弁財天(べんざいてん)川と太夫淵川(坊主淵川)の合流点、横須賀湊の湊口に当村のうちの今沢(いまざわ)新田がある(天保国絵図など)。大淵村ともいう(寛文朱印留)。横須賀三社権現鎮座本起并御城主御代々(撰要寺蔵)によれば、かつては本宮(ほんぐう)村と称していたという。天正九年(一五八一)三月二一日の大須賀康高判物写(普門寺文書)によると、当地の普門(ふもん)寺(現天台宗)に「西大淵」のうち二〇石が与えられている。なお同二年八月二六日の小笠原信興判物(正林寺文書)には「笠原庄大淵西方宝珠寺」と記される。横須賀藩主井上正利のとき当村の一部で農家や寺を立退かせて一番(いちばん)町・二番(にばん)町・三番(さんばん)町を立て侍町としたり、城下の町づくりに伴って町屋ができてきたので徐々に範囲が狭くなり、当時の中心部であった南番(みなみばん)町の南部が村の中心部となった(「郷里雑記」など)。正保郷帳に村名がみえ、田方九五四石余・畑方四五九石余・塩浜七一石余、横須賀藩領、ほかに龍眠(りゆうみん)寺領一五石・窓泉(そうせん)寺(ともに現曹洞宗)領五石、普門(ふもん)寺(現天台宗)領二〇石、浄泉(じようせん)寺(法華宗陣門流)領二石・熊野山総社権現(現三熊野神社)領二〇石がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by