西川喜洲(読み)ニシカワ キシュウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「西川喜洲」の解説

西川 喜洲(初代)
ニシカワ キシュウ


職業
日本舞踊家

肩書
正派西川流家元

本名
高橋 はる

別名
前名=西川 喜代春

生年月日
明治8年 1月12日

出生地
東京府下谷区同朋町(東京都 台東区)

経歴
4歳のとき西川喜舞に入門して浅草で初舞台。16歳で名取となり西川喜代春を名乗る。その後西川流7代家元・西川巳之助師事し、明治末に西川流舞踊奨励会を組織する。大正5年独立して正派西川流家元となり、12年喜洲と改名。舞踊協会理事を務めた。古典舞踊の立役を得意とした。

没年月日
昭和6年 12月29日 (1931年)

家族
養女=西川 栄寿(2代目喜洲)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「西川喜洲」の解説

西川 喜洲(1代目)
ニシカワ キシュウ

明治・大正期の日本舞踊家 正派西川流家元。



生年
明治8年1月12日(1875年)

没年
昭和6(1931)年12月29日

出生地
東京府下谷区同朋町(現・東京都台東区)

本名
高橋 はる

別名
前名=西川 喜代春

経歴
4歳のとき西川喜舞に入門して浅草で初舞台。16歳で名取となり西川喜代春を名乗る。その後西川流7代家元・西川巳之助に師事し、明治末に西川流舞踊奨励会を組織する。大正5年独立して正派西川流家元となり、12年喜洲と改名。舞踊協会理事を務めた。古典舞踊の立役を得意とした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「西川喜洲」の意味・わかりやすい解説

西川喜洲 (にしかわきしゅう)

日本舞踊正派西川流の家元名。(1)初世(1875-1931・明治8-昭和6) 7世西川巳之助,西川喜舞に師事し,西川喜代春の名を許される。のち水木藤間,坂東,花柳の各流に学び,1916年に喜洲を名のり独立。(2)2世(1904(明治37)- )初世の養女で,1932年に襲名。(3)4世(1928(昭和3)- )2世の娘喜代春。その婿(のちの花川蝶十郎)が一時3世を継いだが不縁となり,喜代春が1963年に4世を襲名。そのおり,2世は西川栄寿と改めた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西川喜洲」の解説

西川喜洲(初代) にしかわ-きしゅう

1875-1931 明治-昭和時代前期の舞踊家。
明治8年1月12日生まれ。西川流の3代西川巳之助(みのすけ)に師事,喜代春の名をゆるされる。師の死後,水木,藤間,坂東,花柳の各流もまなび,大正5年正派西川流をたてて家元となり,のち喜洲を名のった。昭和6年12月29日死去。57歳。東京出身。本名は高橋はる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「西川喜洲」の解説

西川 喜洲(2代目) (にしかわ きしゅう)

生年月日:1904年10月24日
昭和時代;平成時代の日本舞踊家。正派西川流家元
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の西川喜洲の言及

【西川流】より

…2世鯉三郎亡きあと現家元は西川右近(1939‐ )である。別に大正初年,扇蔵家から分かれた正派西川流があり,現家元は4世西川喜洲である。【柴崎 四郎】。…

※「西川喜洲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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