日本歴史地名大系 「西幸村」の解説 西幸村さいこうむら 岡山県:久米郡中央町西幸村[現在地名]中央町西幸津山と岡山を結ぶ備前往来(津山往来)に沿い、東は小原南(おばらみなみ)村・小原北村、南は北庄里方(きたしようさとがた)村(現久米南町)、台地上に耕地が開け、西は山地となって頼元(よりもと)村に続く。正保郷帳では田方三五五石余・畑方一八一石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳の改出高一一二石余・開高二五石余。「作陽誌」の戸口は三三軒・二六五人。領主の変遷は小原両村と同じ。「作陽誌」によると里王子権現社は、羽出木(はでぎ)・北庄里方・北庄山手上(きたしようやまてかみ)・同下・山之城(やまのじよう)(現久米南町)、金堀(かなぼり)・新城(しんじよう)・頼元・西幸各村の氏神。羽出木村畑権現・頼元村筒神社・北庄山手下村天魔神社・北庄里方村加茂神社・山之城村妙見権現・新城村八幡宮の六所の神輿が九月一八日の祭に里王子権現社に集まる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by