西湖村(読み)にしのうみむら

日本歴史地名大系 「西湖村」の解説

西湖村
にしのうみむら

[現在地名]足和田村西湖・西湖西さいこにし西湖南さいこみなみ

西(之)海とも記した。八代郡中郡筋に属する。東は都留郡長浜ながはま村、南は同郡成沢なるさわ(現鳴沢村)、西は精進しようじ(現上九一色村)、北は御坂みさか山塊を越えて鶯宿おうしゆく(現芦川村)。村域のやや東寄りに西湖があり、北東畔に主集落、北西畔に枝郷の根場ねんばがある(甲斐国志)中世一帯西海にしのうみ郷が成立していた。慶長二年(一五九七)七月一一日の大橋吉景・沖吉勝連署書状(西湖区有文書)に「九一色内西海」とみえ、当村名主・百姓中に宛てて年貢半納を条件に走百姓の呼返しを命じている。慶長古高帳には「西ノ海村」とあり、高一石余、幕府領


西湖村
せいこむら

[現在地名]長南町豊原とよはら 西湖

久原くばら村の東に位置し、一宮いちのみや川支流の埴生はぶ川が流れる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二一四石で、幕末まで同様。寛永一〇年(一六三三)の久遠寺法花宗諸寺目録に勢古高徳こうとく寺とある。光徳寺とも記され、現在廃寺。寛政五年(一七九三)の村明細帳(石橋家文書)では三一町二反余で家数四八・人数二五二、堰二、莚・縄を作っていた。旗本一色(旧高旧領取調帳では知行高一五八石余)三枝(同五五石余)二氏の相給。名主五郎兵衛の倅利七が一宮本郷いちのみやほんごう(現一宮町)酒造家に奉公し、その酒造持高を分けてもらい文政一〇年(一八二七)から酒造を行っていたが、届出を怠っていたところ天保七年(一八三六)取調を受け、酒造道具一式が取上げられたらしい(大串家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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