日本歴史地名大系 「西目間切」の解説
西目間切
にしめまぎり
西目間切
にしみいまぎり
喜界島の中央部北側に置かれた行政区分。設置時期は不明だが、琉球王国時代にさかのぼるとみられる。勘樽金は朝貢によって琉球王国から金鉢巻を与えられ、西目間切の大役に任じられたという。慶長一四年(一六〇九)頃、勘樽金は喜界島に帰島したという(「永家系図」永家文書)。正保琉球国絵図に「西目間切」とみえ、ニシメの訓が付され、間切高一千五〇石余。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳では田方八〇一石余・畠方二二八石余、桑役二一石余。元禄五年(一六九二)喜界島与人を一人増やして六人とするにあたり、西目与人のは西目村・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報