西磐井郡
にしいわいぐん
面積:一九四・八〇平方キロ
花泉町・平泉町
県南部に位置し、昭和二三年(一九四八)の市制施行によって当郡から分離した一関市を中心に南部の花泉町と北部の平泉町に分断される。南の花泉町は北は一関市、東は東磐井郡川崎村・藤沢町・宮城県登米郡東和町、南は同県同郡中田町・石越町、西は同県栗原郡金成町・若柳町に、北の平泉町は北は胆沢郡前沢町・衣川村、東は東磐井郡東山町、南は一関市に接する。平泉町東端に束稲山(五九五・七メートル)などがあるのみで、他はほとんどが平坦地。花泉町域は仙台平野の穀倉地帯北端をなす。北上川が平泉町中央部から一関市東部を経て、花泉町東端を南流する。
〔原始・古代〕
花泉町域では縄文時代から古墳時代の遺跡が確認されているが、平泉町域では縄文時代遺跡のみ。花泉町花泉の金森遺跡からは更新世後期・ウルム氷期の数千点にのぼる哺乳動物化石(ハナイズミモリウシ、ナウマンゾウ、オオツノジカなど)・植物化石や骨角器・黒曜石石刃などが出土。同町油島の貝鳥貝塚は縄文から弥生時代のもので、九〇体に及ぶ埋葬人骨も検出されている。同町永井から宮城県中田町にかけての小円墳の古墳群は杉山古墳群と称され、古墳時代終末期、すなわち奈良時代の築造と考えられる。
当郡は古代から近世にかけて磐井郡に属し、「和名抄」にみえる同郡七郷のうちの仲村郷は花泉町花泉字中村を遺称地とする。平安期には衣川を挟んだ平泉町・衣川村の一帯は陸奥国の「中央」であるとともに「内なる境」と認識されており、奥六郡の司安倍氏とのちの藤原氏三代の拠点となり、都市平泉は黄金の世紀を迎える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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