日本歴史地名大系 「平泉町」の解説 平泉町ひらいずみちよう 岩手県:西磐井郡平泉町面積:六三・七五平方キロ県南部の北上川中流域に位置し、一関市を中央に挟む西磐井郡の北部を占める。東は東磐井郡東山(ひがしやま)町、南は一関市、北は胆沢(いさわ)郡前沢(まえさわ)町・衣川(ころもがわ)村に接する。西の奥羽山脈から平泉丘陵が張出し、東端には束稲(たばしね)山が迫り、中央部に北上川が平野部を形成。北部を戸河内(へかない)川が東流して衣川に合流し、衣川は平泉丘陵の北を限って北上川に注ぐ。南部には上達谷(かみたつこく)から東流する太田(おおた)川が北上川に合流。この衣川と太田川に挟まれた平野部が町の中心部で、平安末期平泉文化の舞台でもある。一方、北上川東岸には南北に連なる束稲山や観音(かんのん)山(三二五・二メートル)などの北上高地の山並が迫り、北上川沖積地の水田地帯があるにすぎない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平泉町」の意味・わかりやすい解説 平泉〔町〕ひらいずみ 岩手県南部,北上盆地の南部,一関市の北に接する町。1953年町制。1955年長島村と合体。町名の由来には諸説あるが,古代からの地名。中央を流れる北上川に沿って,肥沃な耕地が開け,西部の丘陵地帯は山林。古代より奥羽地方の開発と軍略上の要地。嘉保年間(1094~96)に藤原清衡の居館建築以後約 100年間,藤原氏の支配する平泉文化が栄え,中尊寺など数多くの遺跡・文化財が残る。中尊寺は延元2=建武4(1337)年の火災でほとんど焼失したが,金色堂(国宝)のみ焼失を免れ,経蔵(国の重要文化財)は旧材を用いて再建された。中尊寺境内と,同じく焼失した毛越寺境内附鎮守社跡および無量光院跡は国の特別史跡。毛越寺庭園は国の特別名勝。旧観自在王院庭園は国の名勝。1988年発掘調査が始められた国指定史跡の柳之御所(やなぎのごしょ)・平泉遺跡群のうち柳之御所遺跡は平泉館(ひらいずみのたち)と推定されている。中尊寺,毛越寺,観自在王院跡,無量光院跡,金鶏山(国の史跡)は,2011年「平泉:仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群」として世界遺産の文化遺産に登録された。JR東北本線,国道4号線が通る。面積 63.39km2(境界未定)。人口 7252(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by