西表炭坑跡(読み)いりおもてたんこうあと

日本歴史地名大系 「西表炭坑跡」の解説

西表炭坑跡
いりおもてたんこうあと

[現在地名]竹富町西表

一八八五年(明治一八年)から一九六〇年(昭和三五年)まで西表島西部一帯にあった県内唯一の炭坑。石炭の存在はすでに近世期に知られ、「燃石」として登場する(八重山島諸記帳)。石炭の採掘は一八八五年に三井物産会社による内離うちぱなり島の試掘で開始された。翌年沖縄巡視をした内務大臣山県有朋が試掘を視察し、石炭採掘の建議採炭に際しての囚人労働を提案した(「山県有朋復命書」国立公文書館蔵)。明治政府の援助で県内の囚人百数十人を坑夫として投入し、内離島北西部の成屋なりや集落を中心に採掘が始まったが、マラリアにより頓挫した。九五年には大倉組が内離島東部の前差まいざし集落を中心に一千二〇〇人の坑夫を投入して採掘、また尚家資本の沖縄広運も五〇〇人を投じて採掘を始めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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