西辛川村
にしからかわむら
[現在地名]岡山市西辛川
一之宮村の北にあり、東の辛川市場村とは砂川が境をなす。山陽道が通り、西隣の備中賀陽郡宮内村との境、街道に面した北側に「従是東備前国」と刻まれた国境石(国塚)が建つ。古代・中世の山陽道は笹ヶ瀬―富原―辛川―板倉のコースをとり、平安時代後期以降、当地には宿が発達した。「源平盛衰記」巻三三(兼康板蔵城戦事)によると、木曾義仲は妹尾兼康を攻め「佐々迫を攻落して、唐皮の宿、板蔵城に押寄せて」鬨をつくった。「太平記」巻一六(備中福山合戦事)によれば、備中福山合戦後、足利直義が「唐皮ノ宿」に逗留、敵方の首実検をした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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