西長寺(読み)さいちようじ

日本歴史地名大系 「西長寺」の解説

西長寺
さいちようじ

[現在地名]大島町大字日見 奥田中

頂海ちようかい山の南麓、奥田中おくたなかの地にある。真言宗御室派に属し、三王山と号する。本尊は不動明王。もと西向さいこう寺と称したが、明治三年(一八七〇)日見村内にあった牛頭山長楽ちようらく寺を合併し、両寺の一字ずつをとって現寺号を称するようになった。

西向寺は至徳元年(一三八四)深識再建と伝えるのみで詳細は不明。しかし、同寺域内にある護摩堂の本尊丈六の阿弥陀如来については、それ以前より信仰があったらしい。「日見の大仏」として知られ、藤原末期の作と推定される(重要文化財)。「注進案」によれば、昔海中に夜々光を放ち、ある時漁人の夢に「吾ヲ引上ヨ」との告があってこの本尊を引き上げたとあり、菅原寺行基菩薩の作との印証があったとも伝え、大同二年(八〇七)伽藍建立したのに始まるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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