西高津新地(読み)にしこうづしんち

日本歴史地名大系 「西高津新地」の解説

西高津新地
にしこうづしんち

[現在地名]南区日本橋につぽんばし一―二丁目高津こうづ三丁目

西高津町・高津五右衛門こうづごえもん町・道頓堀立慶どうとんぼりりゆうけい町の南、日本橋一―五丁目の東にある。大坂の町人福島屋市郎右衛門・備前屋善兵衛両名が西高津村内に新市街地建設を申請、許可を得て開発に着手したもので、続いて高津入堀こうづいりぼり(幅九間・長さ四三九間)を開削し、漕運の便を図った。新地の広さは東西二〇八間・南北二三〇間余、反別一八町余、石高二一八石余。入堀から東を市郎右衛門持分、西を善兵衛持分とした。所管代官のままであった(大阪市史)。開発年次は享保一八年(一七三三)とされているが(同書)、同一七年改めの摂州河州泉州村々役高并役引高帳(明治大学刑事博物館蔵)には役高二一八石八斗七升「西高津村之内」として福島屋一郎右衛門・備前屋善兵衛があげられており、遅くとも右の土地は同一七年には両名に渡っている。享保一九年新地繁盛のため所限りの茶屋株三二が両人に与えられた。内訳は同六年召上株三〇のうち二七・新地召上株二・安治あじ川召上株一・曾根崎そねさき新地召上株二。さらに寛延二年(一七四九)一株追加され、また許可年次は不明だが、入堀を境に東側に一株、西側に一株所限りの湯屋株も許可されていた(「藤井善八覚書」大阪市史編纂所蔵、嘉永四年湯屋仲間名前帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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