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漕運 そううん Cao-yun; Ts`ao-yün

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

漕運
そううん
Cao-yun; Ts`ao-yün

中国,諸王朝が租税として徴収した米麦,絹,銭などを水路によって国都へ輸送するために設けた制度。広義には国都から地方へ,また地方相互間,および海運による場合も含む。その起源はの匈奴討伐で,軍糧を北辺へ輸送したことに始るといわれるが,制度化するのは漢以後である。

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デジタル大辞泉の解説

そう‐うん〔サウ‐〕【×漕運】

船で物を運ぶこと。運漕。

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世界大百科事典 第2版の解説

そううん【漕運 cáo yùn】

中国の歴代王朝が,租税として徴収した諸物資,とくに米穀を水路によって国都へ輸送するための制度。すでに戦国時代,宋や魏では国都を中心に運河を開いて東南の物資を運び,初めて全国を統一した秦でも国都に多量の物資を集めるのに,水運を利用したはずであるが,詳しい事情はわからない。漢は長安に都をおいたので,関中で生産される食糧だけでは足らず,東方から年々数百万石(漢の1石は約20kg)の米穀を運ばねばならなかった。

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大辞林 第三版の解説

そううん【漕運】

船で物を運ぶこと。 「曰く牧畜曰く開墾曰く-/新聞雑誌 45
中国の歴代王朝が、租税収入である食糧を運河などを利用して江南から首都へ運ぶこと。また、その制度。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

漕運
そううん

中国の歴代政権が、租税収入の一部(漕糧)を、財政基盤を支えるために、首都へ水運する制度。歴代の王朝は軍・民を組織し、その法制を定めたが、その初めは漢で、以後、歴朝は首都が移っても経済圏がかわっても、水運ルートを整えてこれに対応した。初めは江北から長安へ、隋(ずい)以後は江南から長安、(べんけい)(開封(かいほう))へ、元以後は江南から大都(北京(ペキン))へとかわり、その運営の成否が政権の盛衰を左右したといえる。唐が618年長安に都し、国際色豊かな、当時の世界に冠たる文化を創造し、その名をとどろかして300年近くの命脈を保ったのは、隋がその命運を賭(か)けて開いた大運河を十分に利用し、軍・民の協力する転般法という輸送組織をつくり、裴耀卿(はいようけい)、劉晏(りゅうあん)らがこれを改善しながら、毎年200万~300万石(1石はいまの日本の3斗3升~4斗1升。1升は1.5キログラム)を水運し、膨張する国費をまかない続けるなど、江南の新興経済力を長安に直結することに成功したためである。これに反し、元が1271年大都に都し、ヨーロッパ大陸まで広がる大帝国を建設しながら100年足らずの中国支配で滅んだ一因は、江南の経済力を大都に生かそうとして揚子江(ようすこう)口から大都へ海上の漕運路を開いたものの、海事に疎いモンゴル人の海運組織の弱さと海難事故の頻発とによって、漕糧の輸送額が安定せず、したがって財政基盤が不安だったことにある。そして明(みん)は、1415年大運河の改修に成功し、兵制に繰り込まれた輸送組織をつくり、支運法、兌(だ)運法、改兌法などと時勢にあわせて漕運法を改善しながら、年400万石(当時の1石はいまの日本の約6斗)を定額として漕糧を絶えず江南から供給したので、約300年の政治的安定を得た。清(しん)も1644年北京に都しながらも、元のように失敗せずにほぼ300年間栄えたのは、明の方式を継承し多少改良して確立した漕運制度に負うところが多い。[星 斌夫]
『星斌夫著『大運河発展史』(平凡社・東洋文庫) ▽星斌夫著『大運河――中国の漕運』(1971・近藤出版社)』

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世界大百科事典内の漕運の言及

【水運】より

…その背景となったのは,長江中下流域と,これを北方につなぐ大運河の水運であった。これより南方の物資を北方へ輸送する漕運は,国家の死命を制する重要なことになり,水運の支配をめぐる争いは全国統一につながった。五代以降に,内陸奥地に位置する長安が,全国中心としての比重をしだいに失い,大運河沿いの開封が全国の中心としての機能を発揮するのも,水運との関連が深い。…

【大運河】より

…(6)直沽から白河により通州に至るまでを白漕といい,そこから大通河(通恵河)をさかのぼって北京に達したのである。 このようにして,大運河を主軸として全国の漕運網が組織されたが,明の中期,16世紀になると黄河の決壊が激しく泥砂が運河道を埋めて,舟運に渋滞をきたし始めた。とくに1569年(隆慶3)から毎年黄河は邳州(ひしゆう)(江蘇省邳県の南)で大決壊を起こし,舟運が杜絶したので,その対策として黄河を淮河に合流させ,河幅を広くして淮河の清水をもって黄河の泥砂を東方に排泄しようとしたのである。…

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