日本歴史地名大系 「西高瀬川」の解説 西高瀬川にしたかせがわ 京都市:右京区西高瀬川渡月(とげつ)橋の東、瀬戸(せと)川が桂(かつら)川に流れ込む辺りの嵯峨樋口(さがひぐち)(現嵯峨天龍寺角倉町)から桂川の水を取入れ、東流して太秦(うずまさ)・山(やま)ノ内(うち)を経て三条通沿いに流れ、千本(せんぼん)三条(現中京区)で南流、下京区・南区域を経て下鳥羽(しもとば)(現伏見区)で鴨(かも)川と合し、羽束師(はつかし)橋北で桂川に再び流入する。近世末期から明治初期にかけて物資運搬のために開削された運河で、淀(よど)川を上った二条城(現中京区)への御蔵米運搬、材木・薪炭など桂川を下った丹波の物資を市中へ運ぶなどのために用いられた。文政七年(一八二四)九月の西高瀬ニ附御用留の口上書(宇野治家文書)によれば、二条城の城米輸送にあたっていた鳥羽(とば)街道の車運衰微により、開削が計画されたのであった。それは堀(ほり)川筋の椹木(さわらぎ)町冷泉(れいぜい)井堰から用水を引き、堀川(現鍋取川)に沿って天神(てんじん)川下流(現西高瀬川)に通じようとするものであったが、堀川の用水を利用する西院(さいいん)村外九ヵ村の「年中常水流下り不申候而ハ用水手支、難渋仕候」(西高瀬ニ附御用留)という反対で実現をみなかった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by