見佐村(読み)みさむら

日本歴史地名大系 「見佐村」の解説

見佐村
みさむら

[現在地名]宝塚市美座みざ一―二丁目・小浜こはま一―三丁目

小浜町の西、武庫むこ川沿いに位置する。同川の氾濫によって位置と所属する郡が変動した。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では川辺かわべ郡に村名がみえ高八石余。正保国絵図では右岸に森と「見佐」の文字がみえ、正保郷帳以降は武庫郡に所属。前掲御改帳では幕府領大和小泉藩預地。元和三年尼崎藩領、宝永八年(一七一一)幕府領に戻り幕末に至る(宝塚市史)。正保郷帳には村名の下に「なし」と注記されている。寛文九年(一六六九)の山境争論裁許絵図(葛馬家蔵)では武庫川中洲「みさ」がみえるが、同年頃の尼崎藩青山氏領地調(加藤家文書)では「無取」とあって年貢を取っておらず、他の村に明記されている村役人や戸数の記載もなく亡所の状態だったと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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