なかず【中洲】
東京都中央区北東部の
地名。
日本橋浜町の
南側、
清洲橋の
西側にある埋立地。明和八年(
一七七一)
大川(
隅田川)と
箱崎川との
分流点を埋め立てて竣工した。埋立後、
茶屋が並び、吉原焼失の際仮宅が設けられたこともあり、
私娼も多くにぎわった。寛政元年(
一七八九)取り払われ、明治一九年(
一八八六)再び埋め立てられた。昭和二二年(
一九四七)から日本橋中洲となった。俗称、
三股。
三叉、三ツ俣とも書く。
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デジタル大辞泉
「中洲」の意味・読み・例文・類語
なかず【中洲】
東京都中央区日本橋の地名。明和8年(1771)隅田川と箱崎川の分かれる三股とよばれた所を埋め立ててつくられた。茶屋が立ち並び繁栄。寛政元年(1789)取り払われ、明治19年(1886)再び埋め立てられて大正期までにぎわった。
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中洲
なかす
那珂川の河口部に形成された、西を同川の本流、東を分流の博多川に画された中洲をさす地域呼称。江戸時代この中洲の北部を唐津街道が横断し、街道沿いには町屋が立並び、中島町が成立。同町は博多川に架かる東中島橋で博多市中、那珂川本流に架かる西中島橋で福岡市中と結ばれた。のち中島町北方の海側を浜新地、同町の南方を岡新地、岡新地のさらに南、中洲の南端部を南新地と俗称。なおこの三新地は春吉村(現中央区)の内であった。江戸時代中島町の南側一帯は中津川原とよばれ、土取場・砂取場であり(「津要録」寛延二年条)、公認の芝居地所でもあった。また中津畠(同書寛延四年条)・中洲畠(同書宝暦四年条)ともよばれた。
中洲
なかず
[現在地名]中央区日本橋中洲
大川(隅田川)の三叉付近の中洲を埋立ててできた九千六七七坪余、河岸三町余の新地(武江年表)。明和八年(一七七一)大伝馬町の草創名主馬込勘解由の願いにより埋築工事が着手され(新編江戸志)、新大橋の南、浜町の武家地である若狭小浜藩酒井氏、旗本白須・菅沼氏の屋敷前から埋築され(武江年表)、目付河野吉十郎安嗣が開発を担当、大川対岸の深川御船蔵(現江東区)前の土をとって築かれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中洲
福岡県福岡市博多区にある繁華街。那珂川と博多川に挟まれた細長いデルタに、多数の飲食店が立ち並ぶ。北海道のすすきの、東京の歌舞伎町などと並ぶ大規模歓楽街として知られる。「福岡中洲」とも。
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普及版 字通
「中洲」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報