デジタル大辞泉
「読書三到」の意味・読み・例文・類語
どくしょ‐さんとう〔‐サンタウ〕【読書三到】
読書して真意を悟るには、目でよく見、声に出し、心を集中することの三つが大事であるということ。→三到
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
どくしょ‐さんとう‥サンタウ【読書三到】
- 〘 名詞 〙 書物を読んで真意を悟るには、目でよく見、口で朗読し、心で会得するという、三者専一の熟読に到るべきだということ。読書の三到。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
読書三到
書物を読んで真意を悟るには、口・目・心を十分に使って理解しなければならないということ。
[使用例] 朱子等は読書三到といって、「心到、眼到、口到」と述べ、その中でも心の到ることを以て、最も肝要としているが此れなどは一冊の本を読むにも、先ず眼で読み、それから口で読み、更に心で会得することを説いたもので、随分叮嚀な読書法である[高梨光司*読書趣味の鼓吹|1933]
[使用例] 読書百遍とか読書三到とかいう読書に関する漠然たる教訓には、容易ならぬ意味がある。恐らく後にも先にもなかった読書の達人、サント・ブウヴも、漠然たる言い方は非常に嫌いであったが、読書については、同じように曖昧な教訓しか遺さなかった[小林秀雄*読書について|1939]
[解説] 宋代の朱熹が「訓学斎規」の中で述べていることばです。読書して内容をよく理解するためには、口到・眼到・心到の「三到」が必要だと言います。
「口到」は声に出してはっきりと読むこと。「眼到」は目で文字を把握すること。そして最も大切なのは「心到」で、文章の内容に集中することです。心到がなければ、音読し、目で文字を追っていても、内容が十分に理解できません。
一見、当然の教訓です。小林秀雄は[読書について]の中で、これを「漠然たる教訓」と評します。批判しているわけではありません。読書のときは、自力で文字をたどり、判断し、納得するしかないと、この教訓を肯定しています。
私たちは文章を音読することや、一語一語をじっくり追っていくことを軽視しがちです。結果として内容を誤解し、読書の意味を半減させることにもなります。朱熹の教訓はなお生きています。
出典 四字熟語を知る辞典四字熟語を知る辞典について 情報
Sponserd by 