日本歴史地名大系 「護良親王墓所」の解説 護良親王墓所もりよししんのうぼしよ 神奈川県:鎌倉市二階堂村護良親王墓所[現在地名]鎌倉市二階堂護良は「もりなが」ともいう。鎌倉宮(大塔宮)の東方約三五〇メートルの小高い山頂にある。一二〇余の石段を登った頂上に、玉垣に囲まれてある変形の宝篋印塔が墓標で、延文二年(一三五七)に東光(とうこう)寺の住持月山友桂が建立したと伝える。親王は建武元年(一三三四)一一月鎌倉に流され、薬師堂(やくしどう)ヶ谷(やつ)に「土籠ヲ塗テゾ置進ラセケル」(太平記)という状態であったが、この場所は今はない東光寺の跡で、現在鎌倉宮が鎮座する所であろうといわれる。翌二年七月、北条高時の遺子時行が鎌倉を攻めたとき、足利直義は淵辺義博をもって親王を弑し、成良親王を奉じて三河に敗走した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by