谷田寺(読み)たんだいじ

日本歴史地名大系 「谷田寺」の解説

谷田寺
たんだいじ

[現在地名]小浜市谷田部

谷田部やたべの西側山裾、寺谷下てらだんしたにある。山号は普門山、高野山真言宗。本尊千手観音。弘安一一年(一二八八)正月日の谷田寺院主重厳言上状案(寺蔵文書)に「天武天皇御宇白鳳年中、為泰澄大師建立、当国中□□(第二)御願所、年序既及数百歳畢」とある。また慶長(一五九六―一六一五)頃の成立と推定される谷田寺縁起(同文書)に「人王四十四代元正天皇御宇養老五年辛酉五月日泰澄大師草創也」と、いずれも泰澄の開創としている。前掲の言上状によれば、草創の際料田一町余を寄進されたとあり、文永二年(一二六五)若狭国惣田数帳写に「谷田寺壱町百六拾歩 今富名」とあるが、弘安六年税所代官となった伊賀光政(若狭国税所今富名領主代々次第)によってこの料田が収公された。このため当時あった本堂(五間四面、本尊千手)・鎮守宮(一間二面、御垂迹日吉熊野金峯)・同拝殿(五間二面)・温室一宇(三間三面)・二階楼門の五宇は、大破に及んでも修理ができなかったため、先引の言上状を六波羅探題へ出頭提出し、若狭上宮・下宮(若狭彦神社)・小浜八幡宮が莫大な社領をもちながら国普請されていることの不公平を述べて、元のごとく料田の寄進を訴えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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