豊臣秀勝(読み)とよとみ・ひでかつ

朝日日本歴史人物事典 「豊臣秀勝」の解説

豊臣秀勝

没年:天正13.12.10(1586.1.29)
生年:生年不詳
安土桃山時代武将織田信長の4男で,羽柴(豊臣)秀吉養子。通称於次。生年は定かではないが,天正10(1582)年の秀吉書状に於次は「十五六」とあることから永禄11(1568)年ごろの誕生と思われる。養子となったのは天正5,6年であろう。当初は長浜城の留守にあったが,同10年3月以降は秀吉と共に中国地方を転戦し,山崎の戦にも従軍。秀吉が大徳寺で行った信長葬礼では秀吉と共に喪主を務めた。同年10月丹波亀山城主となり従五位下丹波守に叙任,次いで正四位侍従。同11年の賤ケ岳の戦,翌12年の小牧長久手の戦に参加,13年7月には従三位左近衛権少将,次いで正三位中納言となり,丹波中納言と呼ばれた。しかしまもなく病を得,同年12月に急死した。

(二木謙一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊臣秀勝」の解説

豊臣秀勝(1) とよとみ-ひでかつ

1569-1592 織豊時代の武将。
永禄(えいろく)12年生まれ。三好吉房次男。母は豊臣秀吉の姉日秀尼。豊臣秀次の弟。羽柴秀勝(於次(おつぎ))の死後,秀吉の養子となり,丹波亀山城主。天正(てんしょう)18年小田原攻めのあと甲斐(かい)・信濃(しなの)をあたえられ,翌年美濃(みの)岐阜城にうつる。淀殿の妹小督(おごう)(崇源院)と結婚。文禄(ぶんろく)の役で朝鮮に出陣し,天正20年9月9日唐島(巨済島)で病死。24歳。幼名は小吉。

豊臣秀勝(2) とよとみ-ひでかつ

羽柴秀勝(はしば-ひでかつ)(1)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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