改訂新版 世界大百科事典 「貧農委員会」の意味・わかりやすい解説
貧農委員会 (ひんのういいんかい)
Komitet bednoty
ソ連邦の貧農と農業労働者の組織。1918年後半にヨーロッパ・ロシアと白ロシアで活動した。略称コンベードKombed。十月革命のあと,主要な穀物地帯を干渉軍と反革命軍によって占領されたソビエト政権は穀物調達の強化を迫られ,調達に抵抗する富農を抑圧して穀物余剰を没収するために18年6月,全ロシア中央執行委員会の布告によって貧農委員会を組織した。その活動は共産党員や都市の労働者が直接に指導した。11月には総計12万2000の貧農委員会が組織された。その活動は富農からの穀物の没収にとどまらず,赤軍への農民兵士の補充,土地の再分配,コルホーズ建設にも及んだ。11月の第6回全ロシア・ソビエト大会は郷ソビエト,村ソビエトの改選の遂行を貧農委員会の任務とし,改選後は,貧農委員会のいっさいの機能は新しいソビエトに委譲されるとともに,委員会自体は解散した。この権限委譲は19年1月に完了し,占領軍から解放された地方でも19年のうちに行われた。
執筆者:奥田 央
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