日本歴史地名大系 「貫村」の解説 貫村ぬきむら 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉南区貫村[現在地名]小倉南区上貫(かみぬき)一―三丁目・中貫(なかぬき)一―二丁目・下貫(しもぬき)一―四丁目・中貫本町(なかぬきほんまち)・西貫(にしぬき)一―二丁目・東貫(ひがしぬき)一―三丁目・貫・貫弥生(ぬきやよい)ヶ丘(おか)一―二丁目・田原(たはら)五丁目・上曾根(かみそね)三丁目・中曾根(なかそね)二丁目・同五丁目曾根村の南、貫山の東麓、貫川流域に立地する。中世に貫庄とみえる。元和八年人畜改帳に貫村とみえ、御蔵納分の高四三七石余、給人一一人分の高一千三四一石余の二筆で、家数二〇七、人数五一六(うち百姓三七・名子二九・坊主二・鍛冶一・山ノ口一)、牛四五・馬三一。正保国絵図では南東部に「貫ノ内別府」、南西に貫山と記される。宝永三年(一七〇六)の検地帳(企救郡誌)では中貫村の田畠七二町一反余。 貫村つづらぬきむら 埼玉県:入間郡毛呂山町貫村[現在地名]毛呂山町葛貫、日高市山根(やまね)大谷木(おおやぎ)村の東、高麗(こま)川支流宿谷(しゆくや)川(葛貫川)左岸台地に立地。くずぬきともいう(「風土記稿」など)。宿谷川は入間・高麗の郡境を流れ、対岸は高麗郡平沢(ひらさわ)村(現日高市)。小田原衆所領役帳に左衛門佐殿(北条氏尭)の所領として「百四拾六貫六百三十六文 河越三十三郷多波目葛貫」とみえ、弘治元年(一五五五)に検地が実施されていた。寛永一六年(一六三九)の検地帳(毛呂山町史)によれば田・畑・屋敷五一町八反余。 貫村つづらぬきむら 埼玉県:日高市貫村[現在地名]日高市山根(やまね)、入間(いるま)郡毛呂山(もろやま)町葛貫平沢(ひらさわ)村の北方、宿谷(しゆくや)川北岸にある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報