改訂新版 世界大百科事典 「賀茂伝説」の意味・わかりやすい解説
賀茂伝説 (かもでんせつ)
《釈日本紀》所引の《山城国風土記》逸文にみえる賀茂神社の縁起譚。山城の賀茂建角身(かもたけつのみ)命には,玉依日子(たまよりひこ),玉依姫(比売)(たまよりひめ)の2子があった。タマヨリヒメが瀬見(せみ)の小川(賀茂川の異称)のほとりに遊ぶとき丹塗矢(にぬりや)が川上より流れ下り,これを取って床の辺に挿し置くうちについにはらんで男子を産んだ。長ずるに及び7日7夜の宴を張り,タケツノミがこの子に〈汝が父と思はむ人に此の酒を飲ましめよ〉と言ったところ酒杯をささげて天に向かって祭りをなし,屋根を突き破って昇天した。これが上賀茂社に祭る賀茂別雷(かもわけいかずち)命であり,下鴨社にはタマヨリヒメとタケツノミをまつり,社家の賀茂県主(あがたぬし)氏はタマヨリヒコの後裔だという。この伝説は賀茂神社の御阿礼(みあれ)神事と関連する。これは賀茂川上流の貴船の神(水の神)を賀茂社裏の神山に招き降ろして若神の誕生を迎え豊穣を祈る祭りであった。ミアレとは若神の誕生をいい,その秘儀につかえる巫女をアレオトメといった。タマヨリヒメとはこのアレオトメを一回的な伝説上の人物として語ったもので,神秘的霊力をもった巫女に与えられる神話上の普遍的な名称である。賀茂伝説は若神誕生に関するこのミアレの秘儀を,タマヨリヒメと丹塗矢に化した天なる父神との聖婚という形で説話化したものなのである。賀茂県主氏は賀茂川流域の葛野(かどの)を本拠とする豪族で,農事に関する水の神(雷神)を祭る巫女と政治をつかさどる男君とで支配していたが,その巫女を神の妻として,神の子を産むほどまでに霊力ある女として語り伝えるところにタマヨリヒメ母子に対する信仰が生まれた。こうした信仰は古代の氏族伝承に広くみられるもので,賀茂氏もみずからの出自と祖神にまつわる伝承を神と巫女との奇跡として語り伝えたのである。賀茂伝説には律令制以前の地方豪族・県主の下における祭政と信仰の原初的な形態をうかがうことができる。
執筆者:武藤 武美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報