…法名は尊融(初め尊応)。安政の大獄に座して永蟄居の処分を受けたが,1862年(文久2)国事御用掛となって朝政に参画,翌年特旨により還俗して中川宮(のち賀陽宮(かやのみや))と称した。時に長州藩を中心とした尊攘派の勢力が強盛で,大和行幸に名をかりて討幕を企てるに至るや,親王は同年8月内勅を奉じ,会津・鹿児島2藩と協力してこれを阻止し,その勢力を京都から一掃した(文久3年8月18日の政変)。…
…皇族諸家をいう。令制の皇親制度も中世に至ってまったく衰微し,皇子以下の一家を立て,これを維持することもまれとなった。この間にあって宮家として存立し,皇親の身分を相承したのは,いわゆる世襲親王家である。その初例は鎌倉中期,亀山天皇の皇子恒明親王を始祖とする常磐井(ときわい)宮で,室町中期まで6代にわたって存続した。これに次ぐのは後二条天皇の皇子邦良親王に始まる木寺宮で,室町中期まで6代にわたって存続した。…
※「賀陽宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...
1/28 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
1/16 デジタル大辞泉プラスを更新
1/16 デジタル大辞泉を更新
12/10 小学館の図鑑NEO[新版]魚を追加
10/17 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新