…明治維新後,新政府は伏見宮以下の世襲親王家は例外として存続を認め,他は大宝令の制度に復帰する原則を立てたが,皇室典範の制定に当たり,皇族制度もまったく一新された。 上古以来,皇胤から出て皇別を称した氏族は少なくなかったが,令制以後も諸王の賜姓降下がしだいに増え,平安時代に入ると,皇子の賜姓降下の例も開かれた。ことに嵯峨天皇が皇子女に源姓を賜って臣籍に下してからは,醍醐天皇まで歴代天皇の皇子女の賜姓源氏は100人近くにのぼり,その後も正親町天皇の皇子(家号広幡)に至るまで,皇子・皇孫の賜姓源氏が断続的に生まれた。…
※「賜姓降下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...
7/28 化学辞典 第2版(森北出版)を更新
6/26 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/17 デジタル大辞泉プラスを更新
4/17 デジタル大辞泉を更新
2/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新