皇室典範(読み)コウシツテンパン

デジタル大辞泉 「皇室典範」の意味・読み・例文・類語

こうしつ‐てんぱん〔クワウシツ‐〕【皇室典範】

皇位継承・皇族・摂政皇室会議など、皇室に関する事項を規定する法律。昭和22年(1947)制定。明治22年(1889)に制定された旧皇室典範明治憲法と並ぶ最高法典であったが、現行皇室典範は通常の法律の一。

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共同通信ニュース用語解説 「皇室典範」の解説

皇室典範

皇位継承や皇族の範囲など皇室関連事項を定める法律。継承者を「皇統に属する男系の男子」(1条)に限定し、順位を/(1)/皇長子(天皇の長男)/(2)/皇長孫(長男の子)/(3)/その他の皇長子の子孫―などとする。天皇の心身が重篤な状況に陥った際に摂政を置くことや、即位の礼、大喪の礼の実施なども定めている。4条は「天皇が崩じたときは、皇嗣こうし(皇位継承順1位)が、直ちに即位する」としているが、4月30日施行の皇室典範特例法で天皇陛下一代限りの退位を認めた。

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精選版 日本国語大辞典 「皇室典範」の意味・読み・例文・類語

こうしつ‐てんぱんクヮウシツ‥【皇室典範】

  1. 〘 名詞 〙 皇室に関する重要な事柄を定める法律。皇位継承、皇族の範囲、摂政、天皇および皇族の身分、皇室会議などについて規定している。旧憲法当時の皇室典範は憲法と同格で議会の関与が禁じられていたが、その廃止後、昭和二二年(一九四七)に制定された現行皇室典範は法律の一形式にすぎない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「皇室典範」の意味・わかりやすい解説

皇室典範
こうしつてんぱん

皇室に関する重要事項を定めた法律。旧「皇室典範」は、1889年(明治22)大日本帝国憲法と同時に制定され、同憲法とともに日本の最高の成文法であった。したがって、成文憲法は形式上、大日本帝国憲法と皇室典範の二つに分かれ、皇室に関する規定はすべて皇室典範に組み入れられた。その結果、帝国議会は皇室に関する事項については、まったく関与することができなかった。このように、成文憲法が二元化した結果、あらゆる成文法は、宮務法(皇室典範およびそれに基づく皇室令)と、政務法(憲法およびそれに基づく法令)に分かれ、皇室典範は宮務法の基本法として、もっぱら天皇によって改廃された。

 第二次世界大戦後、旧皇室典範は廃止され、新「皇室典範」(昭和22年法律第3号)が日本国憲法と同時(1947年5月)に施行された。名称をそのまま残したが、神道的儀礼部分を削除して簡素化され、普通の法律と同じく国家の統制が及ぶことになった。内容は皇位継承、皇族の範囲、摂政(せっしょう)、成年・敬称・即位の礼、皇族が結婚するときの手続き、皇籍離脱、皇室会議の仕組みなどについて定めている。皇室典範は現在、皇室経済法とともに特殊の法域として皇室法を形成している。

[池田政章]

 新「皇室典範」は第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)が、直ちに即位する」と定めているだけで、天皇の生前退位の規定はない。2016年(平成28)夏、天皇自身による生前退位の意向が明らかになり、2017年6月、皇室典範と一体をなすものとしてその付則に新たに規定した、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(平成29年法律第63号、略称「退位特例法」「譲位特例法」)が成立した。2017年6月に公布、公布の日から3年を超えない範囲で施行されることとなった。退位後の天皇は「上皇」、退位した天皇の后(きさき)は「上皇后」となり、敬称はいずれも「陛下」。

 2019年5月、天皇となったため皇太子は不在となり、秋篠宮(あきしののみや)は「皇嗣」となった。宮内庁に上皇家を補佐する「上皇職」と、秋篠宮家を補佐する「皇嗣職」が新設され、皇嗣職が置かれている間は東宮職はなくなる。なお退位について、特例法として恒久法としなかったのには、天皇の政治行為や政治利用につながりかねない恣意(しい)的退位や強制退位を排除するねらいがある。戦後、皇室典範が事実上改正されたのは、宮内府を宮内庁とした1949年(昭和24)に次ぎ、二度目である。

[矢野 武 2017年10月19日]

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百科事典マイペディア 「皇室典範」の意味・わかりやすい解説

皇室典範【こうしつてんぱん】

皇位継承,天皇・皇族の身分など皇室に関する重要事項を定めた法律(1947年)。旧皇室典範(1889年)は大日本帝国憲法と同等の形式的効力をもつ国の最高法規で,議会も干与できなかった。しかし現在は憲法に付属する法典の一つ。
→関連項目井上毅王(皇室)皇室会議皇族国葬上諭親王成年摂政践祚即位太傅宮家柳原前光立太子陵墓

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改訂新版 世界大百科事典 「皇室典範」の意味・わかりやすい解説

皇室典範 (こうしつてんぱん)

天皇の地位である皇位の世襲による継承を中心として規定した法律(1947公布)。大日本帝国憲法時代にも同名の法規範があったが,それは憲法を頂点とする政務法体系と区別された,皇室事務に関する宮務法体系の頂点に立つものであり,大日本帝国憲法と並ぶ最高の成文法典であった。旧皇室典範は,皇室自律主義の原則の下で,臣民の意思を反映させるべきものではないとされていたので,天皇によって勅定され(1889年2月11日,つまり大日本帝国憲法と同日。ただし,皇室の家法であるとして公布されなかった),その改正にあたっても帝国議会は関与を認められなかった(ただし,1907年の増補時より公布)。それに対し,国民主権原則をとる日本国憲法下での皇室典範は,国権の最高機関である国会の議決する法律の一種であり(日本国憲法2条),憲法を最高法規とする一元的法体系において憲法の下位法としての位置をしめる。

 王位継承については,憲法みずからが具体的に定めるベルギー,オランダなどの型と,憲法は基本原則のみを定め詳細を〈王位継承法〉などにまかせるスウェーデン,デンマークなどの型とがあるが,日本は後者の類型に属する。現行法は,皇位継承資格・順位,摂政となる資格・順位,天皇・皇族の身分・特典,皇室会議などについて定めているが,旧法にあった元号制定,神器の継承,大嘗祭に関する規定は存在しない。ただし,女帝の否定(皇室典範1条)や生前退位の否定(4条)のように,法の下の平等や基本的人権の尊重を定めた憲法上疑問のある規定も含まれている。
皇室
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「皇室典範」の意味・わかりやすい解説

皇室典範
こうしつてんぱん

皇室に関する基本法典。(1) 大日本帝国憲法下で憲法と並んで日本の根幹をなす法典とみなされ,憲法とともに 1889年2月11日に制定されたもの。皇室自律主義のたてまえから,その制定,改正には国民や帝国議会は一切関与できないものとされた。(2) 昭和22年法律3号。1947年1月16日に制定されたもの。日本国憲法自体が皇室典範という名称を使っている(2条)ことから旧憲法下と同じくその名称が使用されているが,性格は通常の法律とまったく同一であって,国会が自由にこれを改廃できる。皇位継承の資格,順序,皇族摂政等について定める 37ヵ条によって構成されている(→皇室会議)。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「皇室典範」の解説

皇室典範
こうしつてんぱん

皇室制度を定めた基本法。1889年(明治22)大日本帝国憲法と同時に制定。憲法とならぶ最高法として議会の関与を許さず,改正増補するには皇族会議および枢密顧問に諮詢して勅定するとされた。構成は,第1章皇位継承,第2章践祚即位,第3章成年立后立太子,第4章敬称,第5章摂政,第6章太傅(たいふ),第7章皇族,第8章世伝御料,第9章皇室経費,第10章皇族訴訟及懲戒,第11章皇族会議,第12章補則。制定当初は公布されなかったが,1907年(明治40)公式令にもとづき公布。第2次大戦後廃止。かわって47年(昭和22)帝国議会の議決による皇室典範が日本国憲法と同時に公布・施行された。

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知恵蔵 「皇室典範」の解説

皇室典範

皇室制度の基本を定めた法律(1947年施行)。(1)皇位継承、(2)皇族、(3)摂政、(4)成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓、(5)皇室会議の各章から成る。戦前の旧典範(1889年制定)から、大嘗祭(だいじょうさい)など神道儀礼の規定が削除されるなど簡略化されたが、骨格は踏襲している。旧典範は、欽定(きんてい)の最高法規で、国会の関与が許されなかったが、戦後の典範は一般の法律となった。皇位継承者を男系の男子に限る継承ルールの変更についても、国会で改正をすれば可能との意見が多数。

(岩井克己 朝日新聞記者 / 2008年)

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旺文社日本史事典 三訂版 「皇室典範」の解説

皇室典範
こうしつてんぱん

皇室関係における重要事項を規定した基本法
1889年大日本帝国憲法公布と同時に制定。皇位継承・践祚・即位・摂政・皇室経費などが規定され,その改正は皇族会議・枢密院への諮問だけで勅定された。第二次世界大戦後廃止されたが,1947年新憲法のもとで一般の法律として修正成立した。

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世界大百科事典(旧版)内の皇室典範の言及

【金子堅太郎】より

…1880年元老院に出仕,各国憲法の調査に当たり,84年制度取調局の設置にともない,立憲制移行にともなう諸法制の整備に関与した。86年からは伊藤博文のもとで井上毅,伊東巳代治らとともに憲法,皇室典範や憲法付属の法典の起草に当たり,とくに貴族院令,衆議院議員選挙法の立案を担当した。94年農商務次官となり,日清戦争後の産業育成政策を立案,指導した。…

※「皇室典範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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