賽金花(読み)さいきんか(英語表記)Sài Jīn huā

改訂新版 世界大百科事典 「賽金花」の意味・わかりやすい解説

賽金花 (さいきんか)
Sài Jīn huā
生没年:1872-1936

中国の名妓江蘇省蘇州に生まれ,15歳で妓女となる。まもなく50歳の洪鈞に見初められ,翌年その側室となる。洪鈞は同治7年(1868)の科挙首席合格者(状元)であった。この年,洪鈞はロシア,ドイツ,オーストリア,オランダの四国全権公使に任じられたので,ともにヨーロッパに行き,おもにベルリンで4年間滞在。帰国後,まもなく洪鈞が死ぬと上海,天津で妓楼を開き,大いに名をあげた。1900年(光緒26),義和団事件の際北京に避難し,ドイツ語を話せることから8ヵ国連合司令官のドイツ人ワルデルゼーにとり入り,連合軍と北京市民の摩擦を防いだことによって人望を得た。また義和団に殺されたドイツ公使ケットレルの夫人をなだめ,李鴻章の講和交渉を側面から助けた。33年に賽金花は62歳,もはや過去の人として貧苦に苦しみながら北京に住んでいたが,北京大学教授劉半農らが聞書をして《賽金花故事》(1934)をまとめたため,ふたたび世人に注目された。こうして綏遠(すいえん)事件以来,抗日の声が高まるなかで,義和団事件の講和に尽力した賽金花は救国の英雄にまつりあげられ,夏衍や熊仏西の戯曲が作られた。ほか彼女モデルにした曾樸小説孽海花(げつかいか)》(1928)が名高い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賽金花」の意味・わかりやすい解説

賽金花
さいきんか / サイチンホワ
(1872―1936)

中国、清(しん)末民初の妓女(ぎじょ)。本名は趙彩雲(ちょうさいうん)。江蘇(こうそ/チヤンスー)省蘇州(そしゅう/スーチョウ)の生まれ。15歳で妓女となる。駐ドイツ公使洪釣(こうきん)の妾(めかけ)となり、ドイツ、ロシアを歴訪。洪の死後、上海(シャンハイ)、天津(てんしん/ティエンチン)、北京(ペキン)の妓界に返り咲き、官界と交わって賽二翁(サイアルウォン)とあだ名された。義和団事件のときドイツ司令官ワルデルゼーに愛され、厳しい講和条件の緩和に奔走。1936年の綏遠(すいえん)事件を機に抗日運動が起こると、一時救国の英雄ともてはやされた。曽撲(そうぼく)の小説『孽海花(げっかいか)』の主人公として描かれ、のちまた夏衍(かえん)の戯曲『賽金花』に再登場し、広くその名を知られている。

[山下龍三]

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