日本大百科全書(ニッポニカ) 「夏衍」の意味・わかりやすい解説
夏衍
かえん / シヤイエン
(1900―1995)
中国の劇作家。本名沈乃煕(しんだいき)。10月30日、浙江(せっこう/チョーチヤン)省杭州(こうしゅう/ハンチョウ)に生まれる。省立甲種工業学校在学中、五・四運動に参加。卒業して日本に渡り、九州の明治専門学校電機科を卒業のち九州大学工学部に入学したが、留学中文学、哲学に親しみ、創造社関係の雑誌に寄稿した。また、それと前後して社会主義に接近、国民党左派に参加した。1927年、日本を追われて帰国、上海(シャンハイ)で共産党に入党、左翼作家連盟の結成準備に参加する一方、芸術劇社を組織、さらに左翼戯劇家連盟を組織して、演劇界の指導的人物の一人となった。33年から映画界に入り、『風雲児女』など当時の代表的な作品の台本を書いた。作品には『包身工』(1936)、『秋瑾伝(しゅうきんでん)』(1936)、『上海の屋根の下』(1937)、『法西斯(ファッショ)細菌』(1942)などがある。抗日戦争中は、上海はじめ各地で発行された『救亡日報』の主編を務め、解放後は文学、芸術界、とくに映画、演劇界での指導的地位にあり、『祝福』『林家鋪子(リンチアプーツ)』などの台本も書いた。文化大革命では周揚(しゅうよう/チョウヤン)らとともに打倒されたが、77年名誉回復、中国文学芸術界連合会副主席、中国日本友好協会会長、中共中央顧問委員会委員などの要職についた。94年には国務院から「国家に傑出した貢献のあった映画芸術家」の称号を受けた。95年2月6日死去。文化大革命後、自伝『懶尋旧夢録(らんじんきゅうむろく)』(1985)を書いたほか『夏衍劇作集』全3巻(1984~86)がある。
[丸山 昇]