こう‐きん【洪鈞】
- 〘 名詞 〙 ( 「洪」は大きい、「鈞」は陶器を形づくる轆轤(ろくろ)で造物主の意 ) 造化のはたらき。造物主。天の神。天。
- [初出の実例]「洪鈞元在二相公手一。六月収来満地秋」(出典:松山集(1365頃)顕藤丞相仮山水)
- [その他の文献]〔張華‐答何劭詩〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
普及版 字通
「洪鈞」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
Sponserd by 
洪鈞
こうきん
Hong Jun; Hung Chün
[生]道光20(1840)
[没]光緒19(1893)
中国,清末の政治家,学者。江蘇省呉県の人。字は文卿。同治7 (1868) 年の進士。湖北学政などを経て光緒7 (81) 年内閣学士,兵部左侍郎。同 13年出使各国大臣としてロシア,ドイツなどを担当し,同 16年まで駐在。帰国して翌年に兵部左侍郎,総理各国事務衙門大臣となった。著書に『元史訳文証補』がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の洪鈞の言及
【賽金花】より
…江蘇省蘇州に生まれ,15歳で妓女となる。まもなく50歳の洪鈞に見初められ,翌年その側室となる。洪鈞は同治7年(1868)の科挙首席合格者(状元)であった。…
※「洪鈞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 