朝日日本歴史人物事典 「赤尾丹治」の解説
赤尾丹治
生年:生年不詳
豊前国(大分県)中津藩領の宇佐郡下赤尾村の人。文化9(1812)年一揆の指導者。前年11月に豊後岡藩で始まった年貢増徴,専売制度の新法に反対する農民の一揆は,すぐさま豊前,豊後諸藩に波及し,9年1月に中津藩領へも飛び火した。中津藩農民は定免制の採用,加免廃止など36カ条の要求書を提出。藩側の回答を不服として,2月19日から22日まで各地の庄屋,豪農宅30軒余を打ちこわし,最大2万人が集結した。3月から一揆首謀者が捕縛され,8月に丹治をはじめ7人が死罪となった。その辞世の句は「悪虫や生れかはりて弥陀の国」。<参考文献>「党民流説」(『編年百姓一揆史料集成』9巻),「文化9年御領中騒動一件諸控」(『伊藤田家文書』),『大分県史』近世編Ⅱ,『中津市史』
(宮崎克則)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報